2005年8月6日(土)「しんぶん赤旗」
広島 きょう被爆60年
核兵器廃絶へ 共同と行動も力強く
広島はきょう被爆六十年を迎えます。
一九四五年八月六日午前八時十五分、アメリカが投下した一発の原爆は、広島の街を瞬時に壊滅させ、その年の内に当時の広島市民四十二万人中約十四万人の命を奪いました。原爆は、生き残った人たちの心と体、暮らしを苦しめつづけました。六十年後の今年までの原爆死没者は合計二十四万二千四百三十七人にもなります。
この世の地獄ともいえる惨禍をのりこえてきた被爆者の「ふたたび被爆者をつくらないで」の訴えは、世界を動かしてきました。国際司法裁判所は九六年、「核兵器の使用は一般的に国際法に違反する」とした勧告的意見を出しました。
核兵器廃絶をめざす諸国政府、自治体、反核平和組織、市民組織の共同と草の根からの行動も力強く前進しています。
被爆六十年を迎えた広島では、平和市長会議やパグウォッシュ会議、非核宣言自治体の大会などが相次いで開催されています。原水爆禁止二〇〇五年世界大会には、過去最高の二十九カ国、二百六十四人の海外代表が参加しています。
この世界の圧倒的多数派の力が、すべての核軍縮の約束を拒絶し、非核国にたいする核先制攻撃さえ公言する米ブッシュ政権を包囲し、世界を思い通りに支配しようとする野望を抑えています。
平均年齢七十三・一歳と高齢化がすすむ被爆者の援護が冷酷に切り捨てられています。「被爆者健康手帳」をもつ二十六万六千五百九十八人(三月末現在)のうち、原爆症と認定された人は0・84%。「私の病気は原爆のせいだと認めてほしい」と、全国で百六十七人の原告が原爆症認定を求める集団訴訟をたたかっています。