2005年6月24日(金)「しんぶん赤旗」

劉連仁事件逆転敗訴

賠償請求を棄却

東京高裁 強制連行の事実は認定


 戦時中に日本へ強制連行・強制労働させられ脱走、戦後十三年間、北海道の山中で逃走生活をしていた中国人・故劉連仁さんの遺族三人が、国に二千万円の賠償を求めた劉連仁事件控訴審判決が二十三日、東京高裁でありました。西田美昭裁判長は賠償を命じた原告勝訴の一審判決を取り消し、請求を棄却しました。

 西田裁判長は一審判決を踏まえ、原告側弁護団が主張してきた劉連仁事件の背景にもなる中国人強制連行の歴史を事実として認定しました。さらに、劉連仁さん個人について、中国からの強制連行や日本での強制労働、その後十三年間に及ぶ逃走生活、発見、中国への帰国と提訴に至るまでの一連の事実経過を認めました。また戦後、国が劉さんを保護する義務を怠ったことは「違法行為」と認定しました。

 しかし、「逃走当時、中国には国家賠償法がなく、原告に請求権はない」として、原告の請求を退けました。

 「極めて不当な判決だ」と訴えた長男で原告の劉煥新さんは、判決後の会見で「父は勇気を持ってたたかってほしいといい残して逝った。父の言葉の実現のため団結してたたかいたい。八十四歳の母には、自信を持ってたたかい続けようと話したい」と語りました。

 原告弁護団は「事実は判決によって不動のものと示された。国は真摯(しんし)に受け止め、謝罪と弔意を表明し、同問題を判決の結果によらずに政治解決すべきだ」と訴えました。

 二〇〇一年七月の一審判決は、強制連行・強制労働が国策としておこなわれたことを初めて認め「過酷な体験を強いられた劉さんの救済義務を怠った」として原告請求の全額二千万円の賠償を命じました。それに対し国側は控訴していました。


 劉連仁裁判 劉連仁さんは一九四四年に日本へ強制連行されました。北海道の炭鉱で強制労働させられていたとき、非人道的な扱いに耐えかねて逃亡。終戦を知らず十三年間も山中に隠れ、五八年に地元の人に発見されました。同年、中国に帰国。九六年に提訴し、二〇〇一年七月の一審の勝訴判決を聞くことなく、前年九月に八十七歳で亡くなりました。


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