2005年6月14日(火)「しんぶん赤旗」

都政混乱 石原専横と各党(上)

側近切って知事不問


 五月に東京都の石原慎太郎知事が都庁に出勤したのはわずかに七日。こんな“非常勤”知事に年間二千七百九十五万円の給料が支払われています。その知事の「名代」として都政運営の実権を握った腹心の浜渦武生副知事の暴走。「オール与党」が支える石原知事が都政に持ちこんだ強権政治が白日のもとにさらされ、史上例をみない行き詰まりに直面しています。

 「都政の混乱を招いたのは知事の責任だ」。東京都生活文化局に寄せられた「都民の声」は、六月十三日までですでに前月の二倍以上の百件を超えています。そのうち三割が、知事の登庁日数に関するもので、知事の責任についての意見も三割近くあったといいます。

 今回の混乱劇の“主役”の一人、浜渦副知事は、石原知事が衆院選に初当選(一九七二年)したときから秘書を務めた人物です。浜渦副知事の忠臣ぶりは、石原知事自ら「オレが『殺してこい』といえば、殺してくる」(佐野眞一『てっぺん野郎』)と評したほどです。

■伏魔殿復活

 浜渦副知事は、人事を通じて都庁を掌握。石原知事の威光をバックにして、他の副知事の仕事にまで介入し、意に沿わない者はどやしつけ、左遷。幹部であっても、批判的なことは一言も言えぬ重苦しい雰囲気に、「恐怖独裁政治」「伏魔殿都政が復活した」との批判があがっていました。

 最近、都を退職した元部長は「浜渦は都政の実権を握り、言われた通りにやらないと、幹部を(閑職に)飛ばしてきた」と話します。

 「浜渦に面会するには電話ではダメ。局長も浜渦に『お手紙』を書いている。局長は、部下の書いた『お手紙』の添削までしている」。都関係幹部は語ります。

 三月都議会での日本共産党の追及や百条委員会での証言で、石原「専横」都政の実態が浮き彫りになり、マスコミも追及。都民の批判が一気に高まりました。

 ところが、石原知事は、その浜渦氏を更迭せざるをえなくなったときでさえ、「『泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)る』より、大事な人材を失うことになる」(三日の記者会見)と擁護し、「なぜ問題がありますよと言ってくれなかったのか」と責任を他の幹部に転嫁。「私はなんの責任もない」と開き直りました。

 自民、公明両党は、浜渦副知事を“スケープゴート”にしただけで、肝心の石原知事の責任は不問にしました。日本共産党が議会運営委員会理事会で提案した石原問責決議には自民、公明、民主、生活者ネットがそろって反対。本会議で自民、公明、民主は、百条委が必要と認めた浜渦副知事の告発を求める動議すら、葬りました。

■共産に拍手

 大混迷の末、石原知事は、二副知事、教育長、出納長の四特別職を更迭。しかし、大塚俊郎副知事は留任させ、「日の丸・君が代」強制で批判を浴びた横山洋吉教育長は副知事に昇格させるありさまです。

 「特別職の新人事も石原知事と自民、公明の相対で決めたのでしょう。自公の人事介入で、都政はもっとひどくなる」と語る都職員。前出の元部長は「浜渦を切るということは、石原知事を切るというのが常識ではないのか。与党の行動は、自己矛盾だ」と話します。

 「石原知事は週二、三日しか登庁せず、側近を重用し、都民、職員の声を聞かないトップダウン、独断的運営を行った」

 日本共産党の吉田信夫幹事長は二日の都議会代表質問で石原知事の責任を正面から追及しました。石原知事は週二、三日しか登庁していない事実を認め、「外でしかできない仕事もある」と弁明。翌朝の新聞各紙はこぞって取り上げました。

 「石原、浜渦を追及した共産党の質問には、拍手喝さいだった」。幹部の動向に詳しい都の職員がいいました。

 (つづく)


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