2005年6月4日(土)「しんぶん赤旗」

独断運営に反省なし

石原都知事 浜渦氏らの辞職公表


 東京都の石原慎太郎知事は三日の定例記者会見で、都議会で偽証の問責決議を受けた浜渦武生副知事をはじめ、特別職五人の辞職を初めて公式に明らかにしました。

 知事は記者団の問いに対し、警察庁出身で八月に同庁に復帰する竹花豊副知事を除き、副知事三人、出納長、教育長の特別職五人の辞職を認め、後任人事については、六日の都議会議会運営委員会に提案し、七日の本会議で採決されるとのべました。

 知事が週二、三日しか登庁せず、浜渦副知事など側近を重用し、トップダウンで独断的な都政運営を行った自身の責任については、「何の責任もない」と開き直りました。

 浜渦副知事の重用について、「これだけ幅の広い、(メディアの)目のつかないところで活躍した副知事は今までいなかったと思うし、これからもいないでしょう」「余人をもって代えがたい」とかばいました。「独断的」「専横」との批判について、「これはちょっとという問題があったら、やっぱりそれを指摘してもらいたかった」と、都幹部に責任を転嫁しました。

 石原知事は会見で、百条委員会設置の発端となった都社会福祉総合学院をめぐる問題について、自民党に「やらせ質問」を依頼するよう検討したものの動かず、民主党に依頼したと認めました。

 この問題では、浜渦副知事が民主党に質問を依頼した事実が百条委員会で判明し、同委は質問依頼を否定した浜渦副知事の偽証を認定。二日の都議会では浜渦副知事、桜井巌出納長の問責決議を可決しています。


副知事擁護と責任転嫁

「やらせ質問」にも「話題になればいい」

 副知事ら五人の特別職の総辞職というかつてない異常な混乱状態に陥った東京都政。ところが、石原慎太郎都知事は、三日の記者会見で、側近・浜渦武生副知事の辞職に初めて言及したものの、徹頭徹尾、浜渦氏をかばい続け、独断的都政運営を行った自らの責任を一切認めず、他の都幹部に責任をなすりつけました。

 浜渦副知事の「恐怖独裁」といわれる都政をもたらした背景には、石原知事自身が、週に二、三日しか登庁せず、政務を側近・浜渦氏にまかせてきたことがあります。都民や都職員からの意見、要望には一切、耳を傾けず、浜渦副知事を通じてトップダウン式にことをすすめる独裁的手法は、ほかならぬ知事自身が、都政にもちこんだものです。

 都庁内からも、マスコミ各社からも知事の責任を問う声があがるなか、石原知事は、「私の権限で人事を刷新すること。責任の履行はそれしかない」と述べるだけで、反省や都民に対する謝罪の言葉は一言もありませんでした。

 それどころか、石原知事は、今日の事態をまねいた中心人物、浜渦副知事について「非常に有能な人材」などとほめちぎり、「最後は浜渦と深夜、二人で涙流して話したよ。『泣いて馬謖(ばしょく)を斬(き)る』より、大事な人材を失うことになる」と擁護し続けました。

 石原知事は、問題の発端となった、東京都社会福祉総合学院の問題を予算特別委員会で取り上げるよう浜渦副知事が民主党に依頼したことについて、「やっぱり責任政党の自民党が質問してくれたら一番よかったと思うし、だから僕はそうさせろと言った」と述べ、自民党に質問を依頼するよう指示したことにも言及。「どうも自民党も動きそうもない。それで、民主党ということになったのかな」と述べました。

 記者団からは、「やらせ質問」の是非を問う質問が出されましたが、石原知事は、「話題になれば非常にいいなと思った。それが議会ってもんじゃないの」などと述べ、議会と執行機関の癒着を何も問題と感じない民主主義感覚の欠如を示しました。

 石原知事は、記者団に対しても「ここぞとばかりにやってきたな。ピラニアが」などと悪ばを投げつけ、記事で「進退を考えよ」と書いた記者を「ただのブン屋」などと罵倒(ばとう)。週二―三日しか登庁しない問題を質問されると、「君ら(記者団)だって、毎日、この記者クラブに来て、取材ができるのか。毎日、毎日、同じ机に座ってるのが能じゃないだろ。あまりバカなこと言わない方がいい」と開き直りました。

 自らを一切省みることなく、批判の声に耳を傾けず、逆に相手を罵倒して責任を回避する石原知事。その独断的手法が、都政の異常事態を生み、その破たんがいま表面化しているのです。

 (中村圭吾)


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