2005年5月15日(日)「しんぶん赤旗」

25日間の大学生活

JR事故で二男亡くした福田順子さん

つやつやの学生証「持ち続けます」


 「あの子は家と大学の間をさまよってるんじゃないかと思うんです。いつでも帰れるように、私は家から出られません」。百七人が犠牲になった兵庫県尼崎市のJR脱線事故から二十日。この春、龍谷大学理工学部に入学したばかりの二男、和樹さん(18)を失った福田順子さん(49)=宝塚市=は、いまも息子の帰りを待ち続けています。

 (兵庫県・塩見ちひろ)


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「昨日は和樹の好きな茶わん蒸しを供えました」。息子の死を受け入れられない順子さん=13日、兵庫県宝塚市

 「ほら起きて、はよいっておいで」。四月二十五日朝八時四十五分、順子さんはJR武田尾駅まで和樹さんを車に乗せ、眠そうに改札口へ向かう後ろ姿を見送りました。

 自宅に戻りテレビをつけると、脱線事故のニュースを報じていました。「まさか」。一瞬不安が胸をよぎります。午前十一時半、電話が鳴りました。「かーこ(和樹さん)が二、三両目あたりに乗ってた」。切羽詰まった同級生の声に、耳を疑いました。

涙も出ない

 順子さんは和樹さんの携帯電話に何度も電話をかけ、兄の直希さん(20)も安否確認のメールを送りました。しかし、返事はありません。無事を祈りながら、家族全員で現場に向かいました。

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家族の手に戻った真新しい学生証と財布

 「遺体と遺留品をご確認ください」。家族の切なる願いは打ち砕かれました。遺体と対面し、泣き崩れる夫と直希さん。順子さんは信じられず、涙さえ出ませんでした。

 「おいおい、まさか電車事故に巻き込まれてないやんな?」「返事してくれ」―携帯電話に次々届く友人からのメール。「福田和樹の死亡確認しました。母より」。順子さんは、信じがたい気持ちを抑え、一人ひとりに返信しました。

 「いまも結びつかないんです。お通夜もお葬式も記憶が途切れて…。遺体を見ても、『怖い』としか思えませんでした。葬儀屋さんが顔をきれいにしてくれたとき、やっと涙が出ました。あの子に近かったから」

 たった二十五日間の大学生活。十一日、夫婦で龍谷大学を訪ねました。「卓球部の経歴を見て、模範演技をやってもらおうと思っていたんです」という体育担当教員の言葉に涙がこぼれました。経歴のファイルを一年間置いてほしいと頼み、快諾してもらいました。

 「大学の方には本当に感謝しています。名簿から消されて終わりだと思っていたので…。遺品として、これだけは死ぬまで持っています」と、つやつや光る学生証をそっとなでました。

食事を用意

 小さいころからケンカの絶えなかった年子の兄弟。仲裁に入るのが順子さんの日課でした。静まり返った家で、兄の直希さんは「僕はだれとケンカしたらええの」と寂しさに暮れています。

 普段からあまり親と口をきかず、将来の夢を語ったこともなかった和樹さん。ただ、中学生のころから毎年、母の日には小さな鉢植えの花をプレゼントしてくれました。

 気がつくと、和樹さんの分も食事を作っています。「止まってたらあかんとわかっているけど、和樹のいない生活に慣れるのが罪に思えて…」

 順子さんは訴えます。

 「JRは真実を明らかにして、私を納得させてほしい。頭を下げて回るより、取り残された遺族のケアと会社を変える努力をしてほしい。JRが変わるのを見届けたい」


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