2005年5月12日(木)「しんぶん赤旗」

畑は命 復興に望み
三宅島帰島の山田晴稔さん

アシタバの緑再び

農業35年目 抜根作業待つ


写真
雑木、雑草に埋め尽くされた6ヘクタールの明日葉畑と山田さん

 観光客の受け入れを開始した東京・三宅島(三宅村)。釣りざおを持った人が船から降りてきます。島は、元のにぎわいが戻りつつあります。そんな故郷の島で、農業の再開に向けて一歩を踏み出す人がいます。アシタバ(明日葉)を栽培してきた山田晴稔さん(69)。今、雑草、雑木を抜く抜根作業など被災農地復旧作業が始まるのを待っています。(藤川良太)

 島北西部にある伊豆地区に広がる山田さんの畑には、幅二メートルほどの一本の道が伸びます。東京ドーム一・三個分(六ヘクタール)の広さがある畑で唯一、黒い土の地面が見える場所です。

 全島避難解除直後の二月六日、山田さんは、妻と二人で帰島しました。小さなショベルカーを一台購入。道は「抜根が始まったらすぐに、作業車両が畑に入れるように」と山田さんが造りました。

 長期避難中の一時帰宅では、自宅に行くことしか許されず、畑にはまったく手をつけられませんでした。

雑木で覆われ

 噴火前、アシタバで覆われ緑一色だった畑は、竹やススキがおとなの背丈を超える高さまで成長。「ショックだったよ。きれいな畑だったのに」と山田さんが目をやる畑は、茶色い風景が続き、説明されるまで畑だったと分かりません。

 「何にもしないよりはいいから」と山田さん。畑に目をやったままポツリとつぶやきました。

 農地復旧は、公共事業で行われるため工事終了まで、個人としては手が付けられません。山田さんは待ちきれない思いをにじませました。

 農業は島の主要産業の一つ。村によると噴火前、六百九十七戸の農家が従事。全島で二百七十四ヘクタールの農地があり、アシタバのほか、サトイモなどの生産が盛んに行われていました。現在は、ほとんどが雑草、雑木に埋め尽くされています。地区によっては、火山灰が五センチほど積もり雨などで固まっているところもあります。

 村が行う農地復旧事業に申請した農家は三百十八戸、農地、六十五・三ヘクタール。噴火前の農家就業者数の半分以下にとどまりました。農協は「高齢化もあり、全員が戻って農業を再開するのは厳しい」と、減少するとみています。

一代で工場も

 山田さんは、健康食品のアシタバ粉末の製造を、島内で最初に始めました。「寝ずに努力した」という工場は噴火前、毎日二トンの粉末処理ができるまでになっていました。その工場も、乾燥機などの機械類はすべて壊れました。

 工場を全部直せば千五百万円はかかるといいます。それでも山田さんは「自分一代で工場までたてた。やめることは考えられなかった」。

1年後の不安

 農地復旧の作業は農家がおこない、日当が出ます。これが農家の貴重な収入源。しかし、農作物を植えて収穫、収入を得るまでは時間がかかります。しかも、火山ガスや灰の影響は「作ってみないとどうなるか分からない」状態。農地復旧作業が終われば収入がなくなり、一年後の収入も絶対とは言い切れません。

 山田さんは「畑は命。戻ってこないと元気になれない」といいます。年齢と体力を考え今後、農地を三分の一に減らしますが、やめるつもりはありません。

 工場は九日、再び動きだしました。アシタバは周りの農家に分けてもらいました。山田さんは「気になることを挙げればきりがない。今は抜根をしてもらうのを待つだけ」と話します。

 抜根作業は、今月下旬から開始予定。山田さんの三十五年目の農業が始まります。


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