2005年5月7日(土)「しんぶん赤旗」

強制収容所を記念碑に

次世代に体験を継承

独ハンブルク郊外 文化担当相が決意


 【ハンブルク=片岡正明】ナチス・ドイツにより五万五千人もの収容者が殺された独ハンブルク郊外のノイエンガンメ強制収容所で四日、解放六十年記念集会がおこなわれ、生存者二百四十人を含め二千人の市民が参加しました。ドイツ政府を代表して発言したワイス文化担当国務相は「犠牲者を忘れることは新たなファシズムの勝利の一歩」と訴え、体験継承への強い決意を語りました。

 ノイエンガンメ強制収容所は一九三八年に建設され、連合軍捕虜やユダヤ人など二十カ国計十万六千人を収容し、うち五万五千人が飢えと寒さなどで亡くなりました。子どもへの生体医学実験をした収容所として知られています。戦後、ハンブルク市の刑務所が収容所跡に建設されたため、収容所跡をメモリアルとして部分的に再建したのは最近になってから。四日には、同収容所の新展示場がオープン。収容所の歴史や収容所内の武器工場などでの強制労働の状況などの資料が展示され、生存者のビデオ証言も視聴できます。

 記念集会ではワイス氏が「生き残っている最後の元収容者の人たちの証言を若い世代が引き継いでいかなければなりません。犠牲者を忘れることは古いファシズムの最後の勝利であり、新たなファシズムの勝利への一歩になる」と語りました。

 ハンブルクのフォンボイスト市長は「ほとんど忘れられた強制収容所になっていたノイエンガンメを新たに思い起こす資料展示が完成したことは大事だ」と強調しました。

 収容所生存者としてデンマークからきたトーマス・バルンセンさん(80)は「デンマークの国境警備員をしていたときに、ナチス・ドイツ軍が侵攻し捕らえられてここにきました。レンガ工場で強制労働をさせられましたが、飢えと寒さの生活は地獄のようでした」と語っていました。

 記念集会には学校のクラスぐるみで参加した若い人たちの姿も多く、あちこちで生存者から体験を聞く小さな輪ができていました。

 ハンブルクからきたクリスティーナ・ラムボーさん(21)は「収容者の人から直接、個人的な体験を聞くことはテレビで見ることとは違います。多くの生存者がまだ生きている今だからこそ、青年がその体験を継承しなくては」と話していました。


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