2005年5月7日(土)「しんぶん赤旗」
オノ・ヨーコさん核廃絶よびかけ
みんなで見る夢 実現する
「第二次世界大戦中、私は東京にいました。真夜中に起こされ、B29が私たちの町を焼夷(しょうい)弾で攻撃するなか、防空ごうに逃げました」
四日、ニューヨークの国連総会議場でおこなわれた「いま、核兵器の廃絶を」署名の伝達式に招かれたアーティストのオノ・ヨーコさんは、自分の戦争体験も語りながら、「核兵器をどこに落とそうとも、それは自分たちの上に落とすことになります」と核兵器廃絶を訴えました。
「私たち子どもは田舎に疎開しました。食べ物はなく、いつも空腹でした。何もかもが不足し、トイレの紙もありませんでした」と振り返りました。半世紀以上たったいまも「紙袋やプラスチックの容器がなかなか捨てられません」。
広島と長崎への原爆投下当時、オノさんは十二歳でした。「戦争は終わっても、被爆者の耐え難い苦難は終わらず、長くつらい道のりはそのとき始まりました」と被爆者に思いをはせました。「被爆者は勇気をふるい、賢明にもその体験を『ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ』と訴えることで、世界への警告に変えました」と被爆者のたたかいを称賛しました。
いまも続く核兵器開発に「使うつもりなのでしょうか。もしそうなら、気が狂っているにちがいありません」と批判。「これ以上地球を汚し、壊すのではなく、知恵と力を集めてクリーンアップ(大掃除)するなら、この美しい私たちの世界はまだまだ生きながらえるはず」と、ジョン・レノンの曲「クリーンアップ・タイム」にかけて指摘しました。
最後にこう訴えました。「一人で見る夢は夢にすぎませんが、みんなでいっしょに見る夢は実現します。平和を想像(イマジン)しましょう」
(ニューヨーク=山崎伸治)