2005年5月5日(木)「しんぶん赤旗」

5月8・9日 第二次世界大戦終結

「記憶と和解の日」

国連総会で全会一致決議


 国連総会は昨年十一月、「第二次世界大戦終結六十周年を記念する決議」を全会一致で採択しました。決議は、一九四五年にナチス・ドイツが連合軍に無条件降伏した五月八日と九日を、欧州での戦争終結だけではなく、アジアでの戦争をふくめ第二次世界大戦終結の「記憶と和解の日」にすると宣言しました。

 その上で、「すべての加盟国と国連諸組織、非政府組織、個人」が「第二次世界大戦の犠牲者に敬意を表するために、適切なやり方で、この両日の一方もしくは両日を、毎年、祝う」よう呼びかけました。今年ばかりでなく今後「毎年」、この日を記念しようとの訴えです。

 また、五月の第二週(八―十四日)に国連総会が記念の特別会合をおこなうことも決めました。

 どうしてこの日を「記憶と和解の日」とするのか。「記憶」とは、まず歴史認識であり、ファシズム、軍国主義を明確に否定する共通の認識と決意に立ってこそ、未来に向けた協力を可能にする「和解」がすすむものだと、決議は前文で次のように端的に説明しています。

 まず第二次世界大戦の終結が「国連創設の条件をつくった」ものだとし、現在の国連がナチスとファシズム、軍国主義の否定の上に成り立っていることを「記憶」にとどめる意義を強調し、加盟国が国連憲章にしたがって「あらゆる紛争を平和的手段で解決するために全力を傾けること」を求めています。

 同時に、第二次大戦以来、各国が過去の遺物を克服して、民主的な価値や自由を促進する成果をあげたとして「和解」の意義を強調、ドイツを含む「すべての戦争犠牲者」を弔うよう求めています。

 この決議にもとづいて、国連と世界各国で、政府主催をはじめさまざまな記念行事がおこなわれます。


ロシア

50カ国以上の首脳参加で式典

 【モスクワ=田川実】国連総会の決議に基づいて各国で特別の催しが準備されています。そのなかで最大のイベントは、九日のモスクワでの記念式です。

 これにはブッシュ米大統領やシラク仏大統領、独のシュレーダー首相、中国の胡錦濤主席や韓国の盧武鉉大統領ら五十カ国以上の首脳の出席が予定されています。日本の小泉首相も出席します。

 式典は、かつて敵味方に分かれていた各国の代表らが、侵略の歴史を繰り返さず、現代の人類が直面する諸問題に団結して対応する姿勢をアピールする場ともなるもようです。

 第二次大戦で最大の犠牲者をだしたロシアでは、この記念日にとりわけ力が入れられています。

 プーチン政権は式典を一年以上前から準備。モスクワ市内には「祝勝利の日」と書かれた大看板や色とりどりの旗が林立しています。

 対独戦に参加した高齢者の年金は大統領令により五月一日から月千ルーブル(約四千円)引き上げられます。


フランス

和解と信頼が欧州統合の道

 【パリ=浅田信幸】 フランスではシラク大統領が、旧連合国十二カ国から招いた分遣隊を含む閲兵式に臨みます。同国ではノルマンディー上陸作戦(六月六日)からパリ解放(八月二十五日)、さらに最後のストラスブール解放(十一月二十三日)まで、六十周年を記念する行事が昨年から盛大におこなわれてきました。

 マスコミでは七日、八日とテレビで「降伏」「ベルリン陥落」などのドキュメンタリー番組が相次いで放映される予定です。また有力紙フィガロ・グループは「一九四五年五月八日 最終的勝利」と題し、終戦前後の写真と解説を特集した別冊臨時号を出版。その巻頭言で「『記憶の義務』がこれほど細心に尊重されたことはない」と指摘しました。

 欧州では第二次大戦後の歩み、欧州統合の発展そのものが、十九世紀後半から七十年間に三度の戦火を交えた独仏の歴史的対立を克服した和解と信頼関係のうえに築かれたものでした。

 それでもノルマンディー上陸作戦記念式典に、旧敵国であるドイツの首相として初めて出席できたのは六十周年の昨年が初めてでした。そのさい、シュレーダー首相は「われわれドイツ人は誰が罪を犯したかを知っている。われわれは歴史的責任を自覚している」とのべました。

 シラク仏大統領はこれに「歴史と苦難の体験を尊重して、いまは記憶と内省のとき。しかし、それはわれわれが共同して築くことを選択した現在にもかかわる」「かつての敵同士は数十年かけて現在(の協調と繁栄)をつくってきた」と応えました。


国連

本部で特別会合とコンサート

 【ニューヨーク=山崎伸治】国連総会のフレイ報道官によると、国連総会の決議に基づき、ニューヨークでは九日に、総会の特別会合が総会議場で開催されます。また、それに先立つ七日には、国連本部で「第二次大戦終結と国連創設を記念した」コンサートがおこなわれます。

 六十年前の五月、ナチスが崩壊し欧州大戦は終結したものの、独伊と同盟した日本はまだ戦争を継続中でした。総会の論議では「第二次世界大戦の正式の終結」は日本が降服文書に調印した九月二日とする意見もでました。これについてフレイ報道官は記者の質問に、国連がドイツの降伏二カ月後に創設されたことを指摘。「現在の国連の基礎をつくったという意味合いでの合意」と説明しました。

 とくに、八、九の両日を、欧州だけではなく、アジアでの戦争をふくめて、第二次世界大戦の終結の記念日にしている決議の意味を強調しました。

 昨年十一月の決議案採択にあたって、欧州連合(EU)を代表して意見表明したオランダの代表は「第二次世界大戦の終結以来、和解と国際・地域協力、民主主義の価値と人権・基本的自由の広まりに向けて前進がみられた」とのべ、ドイツの戦争認識への深まりと反省があり、「和解」がすすんだのだと、その意義を強調しました。

 国連事務局は、この決議採択の背景には、戦後のドイツが過去への厳しい反省に立って謝罪と被害の補償を国家としておこない、国際社会の一員として責任を果たす努力をしていることを評価したものであるとの見解を明らかにしています。


ドイツ

反省、謝罪で近隣と信頼

百都市以上で数百の記念行事

写真

独ザクセンハウゼン強制収容所解放60年集会で、犠牲者を追悼する参加者=3月17日(片岡正明撮影)

 【ベルリン=片岡正明】「ナチの戦争犯罪を決して繰り返さない課題を世代を超えて伝えていく」。シュレーダー独首相は四月十日のブーヘンワルト収容所解放記念日で強調しました。ノルマンディーからワルシャワ、アウシュビッツまで、同首相や大統領はこの一年、戦後六十年を記念する欧州各地の式典に出席して同じ誓いを繰り返してきました。

 第二次世界大戦終結の記念日がナチス打倒の日とされたこと自身、戦後ドイツが過去の反省を徹底して深め、被害者への謝罪、国家補償を繰り返しおこなってきたことが近隣諸国との和解をすすめ、それが世界全体で認められたことを示しています。

 この和解に不可欠であったのがドイツの反省でした。ワイツゼッカー大統領(当時)が「過去に目をとざすものは現在にも盲目になる」と歴史を直視することを呼びかけたのは二十年前でした。戦争の誤りとそれを繰り返さないという徹底した歴史認識を深める道こそが、ドイツの存立を可能にし、欧州で生きる道をつくりだした力となりました。独仏枢軸といわれる信頼関係を築き、今日の欧州連合(EU)をつくりあげてきました。

 それだけに「記憶と和解の日」は、連邦レベルでも各自治体レベルでも多くの催しがあり、合わせると五月だけで少なくとも百都市以上で数百の記念行事が予定されています。

 連邦議会と連邦参議院が五月七日、八日を「民主主義の日」と決議し、国民各層に「民主主義の日」を祝おうと呼びかけました。

 中央式典は七、八の両日にベルリンのブランデンブルク門の前で開催。民主主義のためのコンサートやキリスト教会のミサ、献花などがおこなわれ、ケーラー大統領が訴えます。政府レベルの式典として十日にホロコースト・メモリアルの完成式典が催されます。

 地域のナチスとレジスタンスの歴史をたどる集会(ダルムシュタット、七日)やファシズム解放六十年での野外討論集会(ミュンヘン、八日)、「強制収容所生存者と家族の話を聞く会」(ブレーメン、一日)など草の根に根付いた催しが多くあります。「反ファシズム・ロックコンサート」(フライブルク、六日)、「戦争レクイエム演奏会」(ボン、ブレーメンなど八日)の音楽会や、「ヒロシマを繰り返すな、二〇二〇年までに核兵器廃絶を」集会(レバークーゼ、九日)と第二次世界大戦終結と核兵器廃絶の課題を結び付けた集会も開催される予定です。

 ベルリンでは五月七日の午後十時に戦争犠牲者をしのんでベルリンの中心部をキャンドル・サービスで囲む「光の鎖」行動もおこなわれます。


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