2005年4月27日(水)「しんぶん赤旗」

シリア軍 レバノン撤退完了


 【カイロ=小泉大介】レバノン東部ベカー平原で二十六日、シリア軍の同国からの撤退式典が開催されました。その後、最後の駐留部隊として式典に出席した約二百人のシリア兵がレバノンを出国し、一九七六年から続いた同軍のレバノン駐留に終止符を打ちました。

 一万四千といわれたシリア軍部隊のレバノン段階的撤退は二月下旬に開始され、ベカー平原に最後まで展開していた約千人の部隊も、ほとんどが二十五日夜までに戦車を含む数百両の軍車両とともに国境を越えシリアに帰還しました。

 両国を結ぶ軍用道路は二十六日以降閉鎖されます。

 二十五日にはベカー平原に置かれたシリア情報機関本部もレバノン側に引き渡され、軍以上にレバノン政治と社会に影響力を持ってきたとされる同機関もレバノンでの活動の幕を閉じました。


解説

アラブ諸国の説得実る

 今回のシリア軍完全撤退をレバノン各紙は、「歴史的撤退」「新時代の始まり」と呼んで歓迎しています。シリア軍がレバノン駐留を開始したのは、さまざまな宗教・宗派の「モザイク」国家とよばれるレバノンで内戦がぼっ発した翌年の一九七六年。「アラブ平和維持軍」の主部隊としてでした。

 しかし内戦が終結した九〇年以後もシリア軍は撤退せず、レバノンへの政治的、経済的影響力を行使してきました。段階的に兵力削減したものの、二カ月前の時点で約一万四千の部隊を維持していました。

 昨年九月、シリア敵視政策をとる米国などの提案で、シリア軍のレバノン完全撤退を求める国連安保理決議一五五九が採択されました。シリア政府は、イスラエル軍がレバノンから完全に撤退していないことなどを理由に、決議履行に消極的態度をとりました。

 今年二月十四日にシリアに批判的なレバノンのハリリ元首相が何者かに暗殺されたことで事態が動きました。レバノン国内でシリア軍撤退を求める数十万規模の集会が相次ぎ開催されると同時に、アラブ諸国のシリア説得が本格化しました。

 シリアのアサド大統領は、ハリリ氏暗殺後も三千人規模の軍を駐留させる意向でした。同大統領が最初に撤退の意思を表明したのは、二月二十一日のムーサ・アラブ連盟事務局長との会談の席ででした。三月三日にはサウジアラビアのアブドラ皇太子がアサド大統領に軍の即時完全撤退を直接要請。同大統領がシリア国会で初めて完全撤退を表明したのは、その二日後でした。

 三月下旬にアルジェで開催されたアラブ首脳会議の場でも、エジプトのムバラク大統領らが説得を継続。これをうけ四月三日、アサド大統領が四月末までの完全撤退を確約しました。

 ムバラク大統領は「外圧が加わることを心配したからだ」と説得の理由を語りました。そこには、米政権がシリア軍駐留問題を自らの中東支配政策推進に利用しようとしていることへの懸念があったのは確実です。

 シリア軍がレバノンから撤退した今、米国自身の中東政策が厳しく問われています。「米国はシリアに安保理決議履行を迫る一方、イスラエルに関する決議は無視している」(エジプト・アルアハラム紙)との批判が改めて渦巻いています。(カイロ=小泉大介)


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