2005年3月30日(水)「しんぶん赤旗」
M8.7、死亡430人確認
スマトラ沖また大地震
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【カントー市(ベトナム南部)=鈴木勝比古】インドネシア・スマトラ島沖のインド洋で二十八日午後十一時十分(日本時間二十九日午前一時十分)にマグニチュード(M)8・7の大きな地震が発生しました。インドネシア当局者によれば、少なくとも四百三十人の死亡が確認されました。
震源に近い北スマトラ州ニアス島では多くの建物が倒壊し、同国保健省は約三百人の死亡を確認しました。同州災害対策本部の報道官は「死亡者は約千人、それ以上になる可能性もある」と語りました。
震源地はスマトラ島西岸にある北スマトラ州シボルガの西北西約二百キロ。シムル島(アチェ州)とニアス島の間の海域で、震源の深さは約三〇キロです。
ニアス島の各都市は家屋の倒壊に加え、電話や通信が寸断されており、空港にも被害が出ていることが伝えられています。英BBC放送によれば、同島中心都市グヌンシトリの副市長は、同市は「死の街のようだ。最悪のパニック状態にある」と語りました。
インドネシア国軍当局者はシムル島でも高さ三メートルの津波に襲われ、大きな被害が出ていることを明らかにしました。
インドネシア赤十字は二十九日、スマトラ島北部メダンからニアス、シムル両島に救援チームを派遣したほか、フランス、マレーシア、シンガポールなどが救援で動き出しています。
地震の影響は周辺国にも及び、スリランカ政府は地震後、沿岸住民に高台に避難するよう呼びかけました。列車も停止しました。クマラトゥンガ大統領は自宅で緊急の閣議を開きました。
タイ政府も南部住民に津波警報を出しましたが、「危険は過ぎ去った」として解除しました。マレーシア、シンガポールでも地震の揺れが感じられました。
昨年十二月二十六日にスマトラ島沖で発生したマグニチュード9の地震は、インド洋に大津波を引き起こし、インド洋に面した諸国で約三十万人の死者・行方不明者が出ています。
12月地震の“兄弟”
今回のスマトラ島沖地震は昨年十二月二十六日に起きたM9・0の地震の震源域の南東隣で発生しました。どちらも、同じプレート境界沿いで発生しており、日本の東南海地震と南海地震のような“兄弟地震”とみられています。
東大地震研究所の山中佳子助手の解析によると、地震を起こした断層は、長さが二百五十キロメートル、幅が百二十キロメートル、ずれの大きさは約十二メートルと推定されています。大きくすべった領域は、ニアス島の真下にありました。
今回の震源域は、一八六一年に起きた地震とほぼ同じ領域。さらに南側には、一八三三年に巨大地震を起こした領域があり、注意が必要だといいます。
今回の地震のエネルギーは、十二月の地震の数分の一ですが、巨大地震であることに変わりはありません。
十二月の地震にくらべて津波が小さかったことについて東大地震研の土井恵治・助教授は、「全体として動いた海水の量が少なかったからだ」といいます。
十二月の地震では、海底の深さが二千―三千メートルだったのにたいし、今回は百メートル前後だったとみられています。海底が浅ければ、それだけ海底の動きにともなう海水の移動量は少なくなります。土井助教授は、「それでも、インド洋の反対側まで数十センチの津波が観測されたということは、海水の移動量としてはかなり大規模だったと考えられる」と話しています。

