2005年3月25日(金)「しんぶん赤旗」

島の姿に ぼう然

玄界島一時帰島「漁できず悔しい」

福岡西方沖地震


 「あんなに美しかった島が見る影もない」―。福岡県西方沖地震で被災し福岡市中央区に避難している玄界島の島民七十一人は二十四日、漁船の維持管理、点検作業をおこなうため四日ぶりに一時帰島しました。民家が損壊し、道路や岸壁にも生々しい傷跡が残る島の姿を目の当たりにした島民の顔には、悔しさとやり切れなさがにじんでいました。

 (佐藤高志)


写真

一時帰島し欷漁船の点検をする船主=24日午前、福岡市西区の玄界島

 島民らを乗せた渡船が停泊した玄界島漁港では、時折強くふきつける風と雨のため、海は大しけの状態。しかし、島民は、慣れた手つきでそれぞれ船の点検に取りかかりました。

 中村国光さん(60)は「船は大丈夫だったが、変わり果てた島の姿にぼうぜんとした」と言葉少な。「岸壁も道も、余震でさらにひどくなっている。漁場も、めちゃくちゃだろう。漁師は働かなければ、収入がなくなる。いつもなら船の点検後に漁に出ているのに…。海に出られないことが悔しい」

 今回の帰島は、危険防止のため船の整備に限定され、家屋への立ち入りは禁止されています。二時間ほどの滞在で点検作業を終えた島民らは、午前十時すぎ、市が用意した渡船で一斉に博多ふ頭に引き返しました。

 漁師歴五十三年の大西敬喜さん(73)は「船からわが家が見えたが、今にも崩れそうで…。住みなれた家が、ひどく遠いところにあるように感じた。なんともやりきれん」と唇をかみしめました。地震前に漁でとってきたカレイやスズキも船に積んだままの状態です。大西さんは深いため息をつきながら、「船は無事だったが、おれが漁に出られるのはあと二、三年だろう…。でも、家がなかったら生活はできん。これから先どうなるのか」と不安を語りました。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp