2005年3月22日(火)「しんぶん赤旗」

玄界島住民、眠れぬ夜

新入生のランドセルも島に

福岡西方沖地震


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避難所で2日目の夜を迎えた玄界島のこどもたち=21日、福岡市、九電記念体育館

 「家はがれきの山。薬だけを握り締めて逃げてきた」―。博多湾の入り口に浮かぶ小さな島を突然、襲った大地震。全島避難が決まった玄界島の住民四百人余りは、避難所となった福岡市中央区の九電記念体育館で、不安な夜を明かしました。

 四人の孫とともに避難所生活をおくる女性(52)は、「孫たちに早く安定した生活をさせたい」と訴えます。五歳、六歳の孫二人は興奮してなかなか夜寝付けません。四月から小学校にあがる孫のために買いそろえた新しいランドセルや机も島に残したままです。「せめて静かな場所で、安心して寝かせてあげたい」と話しました。

 避難所では県内外からも支援物資が届いていますが、「おしめなどのベビー用品が不足がち」の声も…。福岡市は五百人分の食事や毛布を用意。医師や看護師らも待機し、診察を行っていますが、避難住民の顔には疲労の色がにじんでいました。

 多くの住民からは、「いつ島に戻れるのか」と不安の声。八割の住民が漁業を営む玄界島では底引き網漁が解禁になったばかりです。松田茂喜さん(52)は、「普段ならこれからが一番忙しく、島に活気が出る時期。今、漁に出れないのは歯がゆくてならん」と言葉を詰まらせます。

 息子とともに漁師を続ける細江定規さん(77)は、「玄界で生まれ、十八歳で学校を卒業してからずっと漁師をやってきた。島での生活がもうできないんじゃないかと思うことが一番つらい」と話します。「家を建て直そうにも金がない。漁にでられんかったら収入もない。自力で生活を立て直せといわれても、どうにもならん」

 この日、同体育館には仮設風呂が設置されました。浴槽は長さ約二メートル、幅約三メートル、高さ約八十三センチ。女性が多いことなどから、女風呂には浴槽が二つ設置され、いすや洗面器なども用意されました。(佐藤高志)

■震度6以上の最近の主な地震■

2000年7月1日神津島近海地震(6弱)M6.4死亡1
10月6日鳥取県西部地震(6強)7.3負傷 182
01年3月24日芸予地震(6弱)6.7死亡2、負傷288
03年5月26日宮城県北部沖地震(6弱)7.0負傷 174
7月26日宮城県北部地震(6強)6.4負傷 677
9月26日十勝沖地震(6弱)8.0負傷 300超
04年10月23日新潟県中越地震(7)6.8死亡46、負傷4800
05年3月20日福岡県西方沖地震(6弱)7.0

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