2005年3月20日(日)「しんぶん赤旗」

地下鉄サリン事件10年

被害者“不安の一歩”

後遺症今も 救済へウオーキング


 死者十二人、五千五百人を超すサリン中毒被害者を出した地下鉄サリン事件(一九九五年三月二十日)から十年。被害者たちは十九日、メモリアル・ウオーキングや「十年の集い」をおこない、無差別テロ被害を無くし、被害者救済に「新たな一歩」を踏み出そうと訴えました。


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霞ケ関駅構内にある碑の前で献花する地下鉄サリン事件被害者や家族=19日、東京・千代田区

 ウオーキングは、被害者の健康診断などで救済活動をしてきたNPO法人「リカバリー・サポートセンター」(R・S・C)が主催。午前十時三十分、被害者や家族ら百十人が地下鉄日比谷線の小伝馬町駅を出発し、霞ケ関駅まで行きました。

 死者の出た、小伝馬町、八丁堀、霞ケ関、神谷町の各駅で献花。後遺症に苦しむ被害者の心のケアと国による犯罪被害者救済の充実を訴えました。

 最年少の参加者は十歳の小学四年生の女児。地下鉄サリン事件のあったときは十カ月の赤ちゃんでした。

 「お母さんがサリンの被害に遭ったことを話してくれたのは三年生のとき。びっくりしました。生きててくれてよかった」と、霞ケ関駅で被害に遭った母親と歩きました。母親は「後遺症はつらい。主婦ですので労災もない。医療費はだれに請求すればよいのでしょう。国は責任をはたしてほしい」と訴えます。

 東京・町田市の番場清さん(64)は十九歳のときから地下鉄で働く鉄道マン。鉄道の指令塔にあたる信号設備の保守・整備・点検に当たってきました。

 「安全輸送が鉄道マンの命。亡くなった同僚は本当に悔しく、残念だったろうに」と、献花しました。

 現在も激しく襲う頭痛に苦しむ番場さん。「あの時は築地駅にかけつけた。サリンとは知らずに血のついたものや血だまりなどを処理した。いったん地上に出ると目がかすみ、周りが薄暗く感じましたが、また突入。同じように必死で救助にあたった仲間を失った。十年たっても犯人は罪に服していない」と怒ります。

 この日、十年ぶりに小伝馬町駅に降りたのは埼玉県草加市の山本清隆さん(70)。出勤途中に小伝馬町駅で被害に遭いました。

 「築地駅で火災発生」のアナウンスがあり、しばらくするとホームや改札口で人が倒れ出しました。山本さんも倒れ、病院に運ばれました。

 「思い出して、一瞬どうなるのか不安でこれまでこの駅で下車しませんでした。十年たってようやく降りられた。一歩踏み出せた」といいます。

 左手は今もしびれたまま。「国を狙ったテロなのに、国の被害者に対する救済は不十分。政府を動かすためにも事件を風化させずに救済を充実させたい」


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