2005年3月19日(土)「しんぶん赤旗」

国の謝罪が聞きたい

地下鉄サリン事件10年

被害の女性は


 化学兵器が使われた無差別テロで衝撃を与えた地下鉄サリン事件から二十日で十年。被害者の中にはいまも後遺症に苦しんでいる人たちが少なくありません。

うつ、不眠…

 「十年たったといわれても私にとっては、何も変わらない。十年間なにをしてきたのだろう、この先、生きていてなんになるのと考えてしまうんです」

 あの日、地下鉄の霞ケ関駅でサリン被害にあったA子さん。いまもPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんでいます。うつ、不眠、そして無気力。精神科に長期間入院したこともあります。現在も四週間に一回は通院。働くこともできず、外出もほとんどしていません。食事も冷凍食品と近くに住む親がつくって届けてくれるものに頼っています。

 「テレビのドラマやお笑い番組なんて嫌いだったのに、いまはそれだけが楽しみになってしまいました。とくに面白くもない連続ドラマを見続けることで、また来週も生きていく時間を埋めることができると考えている状態です」

 事件の恐怖から電車には乗れません。救急車の音を聞くだけでパニックになります。サリンによって誘発されたぜんそくの発作が時どき起こります。目の瞳孔(どうこう)に異常があり、光をまぶしく感じるため、明るいところではサングラスが必要です。

 二十代後半から、三十代という大切な時期をサリンによって奪われてしまいました。そして、そこから抜け出せる見通しもないまま放置されています。「いつまでこんなことが続くのか、人生が終わるまでこのままなの? 区切りがほしい」と声を詰まらせます。

公的補償なく

 地下鉄サリン事件はオウム真理教による国家にたいするテロでした。被害者は国の身代わりにされたといえます。それ以前にオウムが起こした坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件などにきちんと対応していれば地下鉄サリン事件は未然に防止できたはずとの指摘もあります。また、東京都が宗教法人としてオウムを認めていました。

 しかし国や都はこうした責任を認めようとせず、被害者に対する公的な補償・救済はいっさいありません。後遺症の治療も本人まかせです。

 「世間の人の記憶が薄れるのはしかたがない。でも国には忘れてほしくない。国が責任を認めて謝罪してくれるだけでも、気持ちが楽になると思います」

 A子さんは事件前に子どものようにかわいがっていた猫がいました。事件後、ぜんそくのため飼うことができなくなり、実家に預けざるをえませんでした。たまにあうと元気だった猫も年をとってしまっています。時は戻せません。

 「この子と一緒に過ごす時間も奪われてしまった。できればいまからでも社会に復帰して、いろんなことをやりたい。補償が難しくても、せめて、私たち被害者は国によってケアされるべきなんだと認めてほしい。私たちの声を聞く耳を持って、生きていく希望を持てるようにしてほしいんです」

 地下鉄サリン事件 一九九五年三月二十日、オウム真理教の信者が東京都内の地下鉄三路線五電車内でサリンを散布。十二人が死亡、五千五百人以上がサリン中毒となりました。元代表の松本智津夫(麻原彰晃)被告(50)や実行役ら十人が死刑、四人が無期懲役判決を受け、三人が確定しました。送迎運転手の容疑者一人が逃亡中です。



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