2005年3月18日(金)「しんぶん赤旗」

非核「神戸方式」きょう30周年

昔軍港いま平和の母港


 核兵器を積んだ軍艦の入港を許さない非核「神戸方式」が確立してから、十八日で三十周年です。いま、これを守り、広げるとりくみがいよいよ求められています。

米艦船の入港実施以降ゼロ

 戦後すぐ米軍の軍港となった神戸港(一九五二年に第六突堤以外が返還)は、米軍の補給・輸送・慰安基地として朝鮮戦争、ベトナム戦争で大きな役割を担いました。市内では、発砲、婦女暴行など米兵による事件が頻発していました。「米兵のいない静かなクリスマスを」と切実な要求を掲げたクリスマス闘争や第六突堤返還闘争など長年の粘り強いたたかいをへて、七四年に全面返還が実現しました。

 日本への核持ちこみを明らかにしたラロック元提督の証言(七四年)をきっかけに反核世論が高まり、神戸では、平和な港を求める市民のこうした世論と運動が背景となり、「神戸方式」が実現したのでした。

 以来、六〇年から七四年までに四百三十二隻も入港していた米軍艦は、一隻も入港していません。アメリカは核の有無を明らかにしない政策のため、非核証明書を出せないからです。

 二〇〇〇年の国連NGOミレニアムフォーラムは、「世界の政府が実施すべき措置」として、非核を証明しないと軍艦を入港させないという、「神戸方式」と同様の方法で非核地域の拡大を提唱。いまや「神戸方式」は、世界の非核の指針ともなっています。

圧力に屈せず「守り広げる」

 一方、九九年からアメリカは、駐日大使や総領事らが「神戸に艦艇を入港させたい」との発言をくり返し、市や議員に圧力をかけ、〇一年と〇三年には隣の姫路港に米軍艦入港を強行。〇三年―〇四年に整備された有事法制では、港湾や空港などの米軍の「優先的な利用」をはかるために、管理する自治体が従わない場合、国の代執行まで認めています。

 こうしたなか迎える三十周年。原水爆禁止兵庫県協議会などは、十八日に昼休み行進や記念レセプションなどを、十九日は「非核の港へ全国交流集会」を神戸市でおこない、「いまこそ、非核『神戸方式』を全国へ」とアピールします。二十日には、兵庫県の青年が三十周年記念も掲げて「Peace Festa」を開きます。

 梶本修史・県原水協事務局長は、「日本がアメリカの先制攻撃戦略の足場になろうとしているもとで、米軍艦が入港できない事態をつくっている意義は大きい。同時に、アメリカの強い要求と有事法制で新たな危機にある『神戸方式』を守り広げるために、神戸市の行政は平和に反する目的のためにはおこなわないと明記した平和条例の制定運動をはじめ、全力を挙げたい」と語ります。 (兵庫県・喜田光洋)


 非核「神戸方式」 神戸港に入港する外国の軍艦に非核証明書の提出を義務づけ、提出しなければ入港させないという措置。一九七五年三月十八日に神戸市議会が全会一致で採択した「核兵器積載艦艇の神戸港入港拒否に関する決議」にもとづいて、神戸市が実施したものです。


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp