2005年3月13日(日)「しんぶん赤旗」
年老いるホームレス
特措法施行から2年半
進まない支援策
「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が二〇〇二年八月に施行されて二年半が過ぎました。しかし、全国二万五千人を超えるホームレスへの支援は遅々として進んでいません。六十、七十代を迎えた年老いたホームレスたち。「死ぬときは畳の上で死にたい」―。春まだ遠い東京・上野公園や新宿中央公園で高齢者の訴えを聞きました。
「つらいのは生きている間。死んだら楽になれる」。中村茂さん(73)は上野公園のベンチで、賞味期限切れの弁当を食べながらそう言います。
例年になく寒さが厳しく雪も降った東京。中村さんは一月「耐えられなくって『生活保護をとってあげる』という右翼系団体の話を聞いてついて行った」といいます。
蚕棚のベッド
ところが、連れて行かれたのは、社員寮だったところで相部屋に蚕棚のようなベッドに寝泊まりさせられました。「朝と夜に食事が出るが、保護費のほとんどは団体の本部が巻き上げて、月四千円しかもらえない。これでは自立してくらせない」と、三月になって中村さんは路上暮らしに戻りました。
「アーケードのある商店街で段ボールで囲い寝ている」と中村さん。「鉄砲」といわれている一区間だけの切符を買い、大阪から鈍行の列車に乗って上京したのが十年前。「大阪の豊中市に子ども五人、孫四人いる。いまさら帰ることもできない」といいます。
七十四歳になる宮川清さんを新宿中央公園近くの歩道橋下で見かけたのは昨年の夏のことでした。昨年十二月から、ホームレスの仕事づくりを応援する雑誌『ビッグイシュー』の販売をJR新宿駅西口の小田急デパート前で始めました。
「家庭の不和」
ホームレスになったのは「家庭の不和」からといいます。
内装工事を行う木工職人でした。手がけた仕事は帝国ホテルなど大手ホテルの内装工事から最高裁判所の長官室、首相官邸など。「四年前から仕事が減った。月に一、二度の仕事がある程度になり月収十二万円あれば御の字に」という宮川さん。「子どもが三人。孫二人。長男は独り者で失業。同居していたんですが折り合いが悪くなり自分が家を出た」
『ビッグイシュー』の販売員のなかで最高齢の宮川さんの収入はその売り上げです。
2年で打切り
一日三十冊、三千三百円平均です。月六、七万円。ボランティアの支援を受けて三月から台所とふろ付きの一部屋のアパートに住めるようになりました。「東京都の支援を受けて家賃は三千円。でも支援は二年間だけですから打ち切られたらどうしよう。体の自由が利かなくなったら…」と不安を隠しません。
路上生活からは抜け出せたものの、心筋梗塞(こうそく)の持病を抱え、通院はしていません。「長年連れ添った女房の死に水を取って上げられなかった」と涙ぐみます。腕の良い職人のプライドを捨て、路上で雑誌を売る宮川さんの姿がきょうも見られます。(菅野尚夫)
平均年齢55・9歳
厚生労働省が二〇〇三年にまとめたホームレスの実態調査報告書によると、平均年齢は五十五・九歳です。五十代が45・2%、六十代が30・6%とこの世代で75・8%も占めています。
「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」は、国と地方自治体にたいして自立支援の基本方針と実施計画を作ることを求めています。二〇〇三年の調査ではすべての都道府県でホームレスがいることを確認しています。
しかし、法施行から二年半が過ぎているのに実施計画を策定したのは九都府県、九市(厚生労働省まとめ)しかありません。広島県(二百三十一人)、宮城県(二百二十二人)、沖縄県(百五十八人)、北海道(百四十二人)など、百人以上のホームレスがいる道県でも実施計画を作っていません。
日本共産党の緊急申入れ
日本共産党国会議員団は昨年十二月、「野宿生活という過酷な環境下での体調悪化や体力低下から凍死・病死者が出るなど、人道上、一刻も放置できない段階になっている」として、厚生労働省などに緊急申し入れを行っています。
その内容は次の三点です。
(1)「緊急地域雇用創出特別交付金」の存続など、就労事業の継続・実施で仕事を確保する(2)生活保護行政の拡充と国から自治体への財政支援(3)健康相談・診断を直接地域に足を運んでホームレスに十分な医療を行う。

