2005年3月3日(木)「しんぶん赤旗」

東京大空襲から60年

“真実感じて”

遺族、青年、著名人も参加


 “世界史上最大の空襲”といわれる一九四五年三月十日の東京大空襲から六十年。東京は「立ち止まれば、背中に火がついた」といわれるほどの熱風に包まれ、約二時間の空爆で十万人が亡くなりました。今こそこの真実を伝え、戦争の惨禍を繰り返さない――。そんな思いで、幅広い市民団体や個人が「東京大空襲六十年の会」を二年前からつくり、「東京大空襲展」(五日―十日、東京・六本木ヒルズ内)などに取り組んでいます。


5日から都内で展示

写真

東京大空襲60年の会のイベント紹介ビラ

 東京大空襲では、終戦までの九カ月間に百回余の空爆が行われ、東京の市街地の80%が焼失。三百十万人が家を焼かれ、十二万人の孤児が生まれました。現在も、身元不明をふくめて十万五千四百人分の遺骨が東京都慰霊堂(墨田区)におさめられています。

 「東京大空襲六十年の会」は、〇三年六月に結成されました。空襲体験者や遺族、青年のボランティアら東京大空襲にかかわる運動をしてきた人たちが“六十年に何かやりたい”と始めました。

600人の遺影

 さまざまな意見の人が参加できるよう話し合いを重ね、目的として(1)無念の思いで息絶えたすべての空襲死者を追悼する(2)広く市民に東京大空襲の真実を知らせ、後世に伝える(3)ふたたび戦争の惨禍を繰り返さない――ことを確認しました。

 同会呼びかけ人代表の星野ひろしさん(75)は語ります。

 「東京大空襲は、大きな被害が出たにもかかわらず、広島、長崎、沖縄のように全国の人に知られていない。多くの人に知ってもらうために、気持ちを一つにすることが大切だった」

 展示予定の遺影を集めるため同会は大空襲で亡くなった人の遺族千人余に手紙を送付。二百人から返事がありました。一人の遺族で複数の遺影を持っていることもあるため、展示は六百人分を並べます。中には写真がなく、名前だけのものも。

 ある遺族の手紙にはこう書かれていました。

 「(空襲当日)私は、生後二十日の赤ちゃんでした。亀戸駅前で母の懐に抱かれ奇跡的に、母とともに助かりました。父と兄二人は、母と私を守るために母の背に折り重なって亡くなっていたそうです。母は、空襲の話はあまりしませんでした。私も詳しく聞くこともしませんでした。あれから六十年、父の本籍がわかり、兄の生年月日がわかりました」

思い一つに

 展示では、画家の狩野光男さんが東京大空襲を題材に描いた連作十点、遺族の体験画約三十点なども。展示期間中の六日には「プロジェクト青い空」主催のチャリティーイベント「愛と平和のひろば」が開かれ、秋吉久美子、牧瀬里穂、川原亜矢子、熊本マリ、真矢みき、渡辺えり子、中井美穂などのゲストが参加。空襲体験者の詩の朗読、トークショーなどがおこなわれます。

 「プロジェクト青い空」代表は、戦災体験者で同会の代表呼びかけ人でもある安増武子さん(78)です。「六十年たった今でも犠牲者の正確な数は分かっていません。闇に埋もれた人たちに光があたる、遺族、体験者、戦争孤児の思いが一つになった展示会です。ぜひ、込められたメッセージを感じてほしい」と話しています。

 東京大空襲では前出展示以外にさまざまな取り組みがあります。

 ▽五日午後一時半 東京・江東区総合区民センター公会堂 「東京大空襲60周年のつどい」(主催東京大空襲60周年のつどい実行委員会)

 ▽九日午前十一時 東京・上野寛永寺 海老名香葉子さんの努力で建てられた「慰霊碑 哀しみの東京大空襲」除幕式 同午後二時 上野公園いこいの広場 「母子像 時忘れじの塔」除幕式典

 ▽十日午後一時 隅田公園言問橋近くの東京大空襲犠牲者追悼碑前で追悼集会。▽十―十三日 浅草公会堂ギャラリー 「東京大空襲資料展」(主催東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会)


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp