2011年6月12日(日)「しんぶん赤旗」

福島・南相馬に戻った市民 入院できない

医療制限解除求め署名


 東京電力福島第1原子力発電所の北に位置する福島県南相馬市。原発事故で、市は「警戒区域」など四つに区分されました。原発から半径20〜30キロの「緊急時避難準備区域」では、長引く避難生活に疲へいした市民が徐々に戻っていますが、医療機関への入院は、いまだ認められていません。「このままでは救える命も救えない」と、入院の再開を求める痛切な声があがっています。(西口友紀恵)


地図

 原発から22キロの地域に住む男性(67)は、津波で妻と長女が家ごと流され、直後の原発事故で長野県に次女と避難していました。5月末、市内の仮設住宅に入居するため長時間車を運転して戻り、入居の手続き後に脳梗塞で倒れて、救急車で南相馬市立総合病院に運ばれました。

 男性は緊急の処置でひとまず危機を脱しました。ところが、精査と治療のため車で1時間半かかる福島市内の病院に転院せざるを得ませんでした。

 転院は、同病院の入院が72時間以内に制限されているためです。

患者すべて搬出

 市立総合病院(230床)は原発がある双葉町から北側の南相馬市、相馬市、新地町までの約20万人がいた相双医療圏で唯一、脳外科をもつなど救急・地域医療の大きな役割を担ってきました。

 しかし、原発から23キロの地点にあり、事故後、国と県からの指示で入院患者をすべて搬出しました。

写真

(写真)「緊急時避難準備区域」にある南相馬市立総合病院=原町区

 一方、同病院がある市中心部の原町区では放射性物質の空間線量が毎時0・4〜0・5マイクロシーベルトで推移しており、事故後、市民が徐々に戻り、推定3万〜4万人がいるとみられます。

 この間、同病院は県に入院再開を求めつづけ、5月9日に脳外科に限り5床、72時間以内という制限つきで許可されました。20〜30キロ圏では、大町病院の5床(72時間まで)と合わせ10床です。

 30キロ圏内には7病院(約1200床)ありますが、市内で現在入院できるのは32キロにある鹿島厚生病院の80床だけ。同病院の事務長は、「20〜30キロ圏は特養など介護施設の入所も認められていません。30キロ圏外の介護施設だけでは絶対量が足りず、退院後に自宅へ戻れない人は病院にとどまることになるでしょう。なんとか入院ベッドを有効に使える方法を検討してほしい」と話します。

元のベッド数に

 「本来の救急医療を行えないことが一番問題です」と話すのは、相馬郡医師会副会長を務める開業医。「診療所でも患者さんが激減し大変ですが、病院は収入の7〜8割を入院から得ていてスタッフも多いため、このままではつぶれかねません。一日も早い補償が必要です。長引いて医療スタッフが流出してしまうことが一番厳しい」と危惧します。

 こうした状況を打開しようと6月、市立総合病院院長らが発起人になり、国に放射線被ばく線量の実態に応じた対策を求める署名活動を始めました。要請は、▽医学的に無意味な同心円による避難区域の改善▽低被ばく線量区域の医療制限の解除(入院医療等の正常化)―など3点。

 同市健康づくり課の中里祐一課長は、「市としても20〜30キロ圏は元のベッド数を認めてほしいと県や国に要請しています。国は責任をもって入院医療を保障してほしい」といいます。





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