2011年3月14日(月)「しんぶん赤旗」

東日本大震災

母娘、再会に安堵 仙台・若林区


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(写真)給水と食料を求めて長蛇の列をつくる市民の姿が市内あちこちにみられました=13日、仙台市

 被災者の避難所になっている仙台市若林区の小学校に13日、行方不明の高校生の娘(16)を捜しに岩手県一関市から母親(43)が訪ねてきました。

 東日本大震災が起こった11日に若林区の友人の家に遊びに来て、被災したといいます。地震の影響で携帯電話の電波状態が悪く、なかなか連絡がとれませんでした。やっとつながった電話で同小学校に避難していることが分かりました。しかし、避難所の体育館でアナウンスしてもらっても反応がありません。

 母親は「(宮城県)気仙沼市で暮らす息子(19)も昨日やっと連絡がとれ、津波で4階建ての建物に取り残され、九死に一生を得ていたことがわかりました。それで娘を捜しに来たのですが」と不安な様子。

 友人の住所も不明で途方にくれた面持ちでたたずむ中、携帯電話に娘からの着信が。おもわず顔がほころび落ち合う場所に向かったところ、無事に対面することができました。

 一緒に捜しにきた父親(46)は「ここまで来るのには、ガソリンがあまり販売してなく、調達が大変だった。でも見つかって本当によかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべながら語りました。

 母親は「私たちはこうして娘と再会できて幸運でしたが、こっちのほうは被害も大きく大変なことになっていますね」と話しました。(岡素晴)


流された女性ら救出 多賀城市

 宮城県多賀城市は13日、巨大津波の傷あとが街のいたるところに生々しく残されていました。国道45号は、大津波で流された数え切れないトラックや乗用車が二重三重に折り重なり封鎖されていました。

 空を覆う黒煙が立ち上ります。大量の汚泥が道路の両側の家々を灰色に染めていました。道はところどころぬかるみ、避難する市民は足をすべらせます。

 大手自動車会社の販売店は、泥にまみれた何台もの車両に囲まれていました。津波当時、大きな揺れを感じたあと、店舗の外から「津波だ!」と叫ぶ声を聞いて、5人で屋上に逃げたと、整備士の男性(29)は、いいます。

 屋上に上ると女性2人が津波に流されてきたのをみたといいます。波が引くのを待って店舗の1階に下り2人の女性を何とか屋上に引き上げることができました。

 この日2度目の避難警報を聞いて歩道橋に急いで駆けあがった男性(61)。沈みかける車の窓から77歳の女性を助けました。女性は「命拾いした。私生きてるよ」とポロポロ涙を流したといいます。

 男性は「津波でなにもかもむちゃくちゃだ。まずはこの無数の車をどかして、道を復旧させてほしい。そして、電気と水をどうにかして。トイレの大がね」といいながら、ポケットから紙ティッシュを見せました。(秋山豊、阿部活士)


給水、市民ら相互協力 宮城野区

 13日も停電や断水が続く仙台市。信号機は止まり、コンビニやガソリンスタンドなどもほとんど閉店しています。

 早朝から午後4時くらいまで町のいたるところで食料と水を求めて長い列をつくっている市民の姿がありました。

 午前10時ころ、同市宮城野区のコンビニ店で店独自に水を市民にふるまっていた店主は言います。

 「家族の安否は確認できませんが、被災して大変なときだけに、市民のみなさんにはせめて水だけでも、という思いでやっています」

 自転車のかごにポリタンク一つ入れて長い列に並んだ男性(42)は、「避難所に寝ているけど、水も食料も、毛布などの救援物資もない」と語っていました。(秋山豊)





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