2011年3月13日(日)「しんぶん赤旗」
Q&A リビアで何が起きているの?
追い詰められるカダフィ政権
北アフリカのリビアで、最高指導者カダフィ大佐の独裁に反対する行動が始まって約1カ月、反政府勢力と政権側が一進一退の攻防を繰り返しています。リビアでいま、何が、なぜ起きているのでしょうか。
Q カダフィ氏どんな人?
A 独自「哲学」押しつけ民主主義を否定
Q カダフィ政権ってどんな政権?
A リビアは1951年12月に王国として独立しましたが、69年9月に青年将校団がクーデターを起こして共和制に移行します。
将校団は最高政治機関として革命指導評議会を設置。当時27歳のムアマル・カダフィ大尉が議長に就任し、権力を掌握しました。
77年に導入された「ジャマヒリヤ」(大衆の国家)とは、数千の「人民委員会」が権力をもつというものですが、実際には憲法や議会、選挙を否定して国民との溝を深めました。
カダフィ大佐は「緑の書」と呼ばれる自身の「哲学」を国民に押しつけ、民主主義を否定しました。
70年代から国際テロを支援し、88年の米パンナム機爆破はカダフィ氏の命令によるものだった疑惑も浮上しています。核兵器開発も行いましたが、2003年12月に放棄したことを明らかにしました。
Q 国民はなぜ蜂起した?
A 言論弾圧と貧困の広がりが底流に
Q 今回、国民が立ち上がったのは?
A 中東諸国の政変について、当初、リビアには影響しないとの見方がありました。同国では豊富な石油資源を背景に、国民の不満が強まる経済的要因はないとみられていたからです。
しかし実態は違いました。石油収益の恩恵を受けているのは、カダフィ氏の側近や追随者たちなどに限られています。リビア国民の3分の1が、1日2ドル以下で生活する貧困層だといわれます。
長年の言論弾圧に加えて、こうした貧困の広がりが底流にあるところへ、チュニジアとエジプトで「革命」が起きたとの情報が衛星テレビやインターネットで広まりました。それをきっかけに、これまで積もり積もってきた国民の怒りが一気に表に出ました。
Q チュニジアなどと違う?
A 軍よりも傭兵・私兵が中核を担う
Q 同じように反政府勢力が立ち上がったチュニジアやエジプトとどう違う?
A カダフィ氏は軍との関係が良好ではなく、反乱を恐れて軍の弱体化を図りました。
軍の代わりにチャドやニジェールなどから雇ったアフリカ人傭兵(ようへい)部隊、「革命委員会」と呼ばれるカダフィ氏に忠誠を誓う私兵が支配の中核を担いました。
「革命委員会」は政府機関、教育、警察などを支配しており、それをカダフィ氏が指導するという形で、すべての権力を掌握するという仕組みになっています。
Q 反政府勢力の構成は?
A 離反閣僚や大使、軍の一部が合流
Q 反政府勢力はどういう人たち?
A カダフィ氏は、反政府デモが発生した早い段階から、武力で弾圧する強硬な姿勢をとってきました。これが内外で強い反発を呼び、閣僚をはじめリビアが派遣している国連大使や各国大使が相次いで辞職・離任し、軍の一部も反政府勢力に合流しています。また部族社会の特徴を色濃く残す同国で、カダフィ氏の出身部族とは別の部族指導者が政権から離反していると伝えられています。
カダフィ氏に反旗を翻したアブドルジャリル前司法書記官(法相)は5日、ベンガジを拠点に暫定政権樹立に向けた準備開始を宣言するとともに、反政府勢力の糾合をめざす「国民評議会」の議長に就任。また同評議会は軍事的対応のために軍事評議会を設置しました。
ただアブドルジャリル氏の暫定政権樹立の動きを「個人的なもの」と見る国民評議会のメンバーもいると伝えられており、反政府勢力の結束がどれほど強固なものか詳しくはわかっていません。
Q 国際社会はどう対応?
A カダフィ政権による武力弾圧糾弾
Q これまで国際社会はリビアの事態にどう対応している?
A 国際社会は一致してカダフィ政権による反政府勢力への武力弾圧を厳しく非難しています。
国連安保理は2月26日、リビアに経済制裁を科し、反政府デモへの弾圧を人道に反する罪として国際刑事裁判所(ICC)に付託することを盛り込んだ決議1970を全会一致で採択。また欧州連合(EU)外相会議やアラブ連盟外相会議などが次々と非難声明を出し、国連総会は国連人権理事会のリビアの資格停止を満場一致で決定しました。
ICCは3月3日、カダフィ氏と息子らにデモ弾圧の責任があるとして捜査開始を表明。国際刑事警察機構(ICPO)も同氏や側近ら16人に警告手配書を出しています。
リビアの年表
16世紀 オスマン・トルコの支配下に
1912年 イタリアの支配下に 第2次大戦中に英仏が占領
51年12月 対イタリア抵抗運動指導者のイドリス首長を国王とする王国として独立
69年9月 青年将校団による無血クーデター
73年 チャド北部を占領(94年まで)
77年3月 全人民会議(議会)が人民主権確立宣言を採択、直接民主制国家(ジャマヒリヤ)移行を宣言
79年 米がテロ支援国家指定
81年 米軍、トリポリ沖でリビア軍機2機を撃墜
86年1月 米が経済制裁
86年4月 西ベルリンのディスコ爆破テロで米兵3人死亡。報復として米軍がトリポリとベンガジの軍施設やカダフィ大佐宅を空爆
88年12月 米パンナム機爆破事件(英スコットランド上 空)
92年3月 国連安保理が制裁決議
99年4月 リビアが容疑者引き渡し制裁凍結
2003年8月 パンナム機爆破事件の遺族に補償金支払い開始
03年9月 安保理、制裁を解除
03年12月 大量破壊兵器廃棄を約束
04年1月 包括的核実験禁止条約批准
04年9月 米が独自制裁を解除
06年5月 米・リビア関係正常化
06年6月 米、テロ支援国家指定解除
08年9月 ライス米国務長官(当時) 55年ぶりにリビア訪問
09年2月 リビア、アフリカ連合議長国就任
09年9月 カダフィ大佐、国連総会で初めて一般演説。「総会を国連の真の立法機関に」と語る
面積:176万平方キロメートル(日本の約4.6倍)
人口:629万人(2008年、世界銀行)
公用語:アラビア語
宗教:イスラム教スンニ派
主要産業:石油関連産業
1人当たり国民総所得:1万2380ドル(08年)(世界銀行)
失業率:約30%(09年、リビア当局)
(外務省ホームページによる)
米パンナム機爆破事件 1988年12月、英ロンドンから米ニューヨークに向かっていたパンアメリカン航空(パンナム)の旅客機が、英スコットランドのロッカビー上空で爆破され墜落、乗員・乗客と地上の住民計270人が死亡した事件。通称ロッカビー事件。
国連安全保障理事会は事件にリビアが関与したとして、同国への制裁決議を採択。リビアは99年、容疑者2人の国連への引き渡しに応じ、オランダに設置された特別法廷が2001年に1人を終身刑、1人を無罪とする判決を言い渡しました。今年2月、リビアのアブドルジャリル前法相がスウェーデン紙に「私はカダフィ(大佐)がロッカビー(事件)について命令した証拠を持っている」と語っています。
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