2011年2月7日(月)「しんぶん赤旗」

50年代からの海兵隊沖縄配備

前方配備は“時代遅れ”

地理的重要性成り立たず


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(写真)「銃剣とブルドーザー」で米軍に接収された伊佐浜。道路右側は在沖縄海兵隊基地司令部や第1海兵航空団司令部のあるキャンプ瑞慶覧=沖縄県宜野湾市

 1945年の沖縄戦で海兵隊が米軍の主力部隊だったことから、彼らはそのまま沖縄に居座っていると考えている人は少なくありません。しかし、実は最初に海兵隊が配備されたのは富士演習場や岐阜県、奈良県でした。

朝鮮戦争の経験

 50年6月に朝鮮戦争が起こり、極東軍のマッカーサー司令官は海兵隊の出動を要請。第3海兵師団も53年8月に日本に配備されました。しかし、その1カ月前の7月には休戦協定が結ばれ、米軍は「朝鮮戦争後」の新たな極東戦略に着手していました。

 海兵隊再配置に関する米統合参謀本部の54年4月1日付原案は、(1)韓国の第1海兵師団を残す(2)陸軍の師団を削減する(3)日本の第3海兵師団を沖縄に移す―というものでした。これに対してウィルソン国防長官は同年12月9日、第3師団の沖縄移転に異論はないとしつつも、第1師団を本国に戻し、韓国に陸軍を置く修正案を出しました。「第1師団を『韓国防衛』から外し、即応部隊として自由に動けるようにするため」でした。

 55年、統合参謀本部は修正案を受け入れ、国家安全保障会議が承認。米本土の東西海岸と沖縄の3カ所を海兵隊の拠点とする現在の態勢が確立しました。

 米軍が海兵隊の“即応能力”にこだわったのは、朝鮮戦争の経験によるものです。「米海兵隊略史」は、北朝鮮の奇襲攻撃で始まった朝鮮戦争に対して海兵隊が短期間で部隊増強して仁川上陸作戦に成功したことを挙げ、「戦争の突発性が海兵隊を即応打撃部隊として維持する重要性を際立たせた」と指摘しています。

 米軍は今なお、「北京から○○キロ」「東南アジアから○○キロ」と沖縄の“地理的重要性”を強調しています。日本政府も「沖縄は、米本土やハワイ、グアムなどに比較し、東アジアの各地域に対し距離的に近い」(2010年版防衛白書)などと説明しています。

 しかし、国際情勢は激変しています。当時とは比較にならないほど国家間の相互依存が進み、朝鮮半島を含めて主権国家の間で突発的に紛争が起こる可能性はほとんどなくなっています。

 国家以外との戦争はどうか。イラク・アフガンの「対テロ」戦争に投入された沖縄の海兵隊は過剰な軍事作戦で多くの市民を巻き添えにし、かえって状況を悪化させました。

 “地理的優位性”が生かされたのは、インドネシア・スマトラ島で発生した津波での支援ぐらいです。

 海兵隊の存在理由である強襲揚陸作戦は、アジア地域では朝鮮戦争が最後です。重武装の海兵隊を前方配備して将来の戦争に備えるという発想は、もはや時代遅れです。

 見落としてはならないのは、50年代の沖縄が米軍の占領下でなければ、米軍がどんな戦略を立てても、海兵隊配備は困難だったという事実です。

移設問題の根源

 第3海兵師団司令部がキャンプ瑞慶覧(北谷町、宜野湾市)に移ったのは56年2月ごろですが、それに先立つ55年には周辺の田畑や住宅地が「銃剣とブルドーザー」で奪われました。大拡張をとげたキャンプ瑞慶覧は今なお、在沖縄海兵隊の司令部です。

 1面所報の文書に出てくる「辺野古」は、まさに現在、普天間基地「移設」先とされているキャンプ・シュワブ(名護市)を指します。同基地は59年に完成し、増強を繰り返してきました。

 日米両政府が時代遅れの戦略にとらわれ、過去の占領支配による“戦利品”を既得権益として手放そうとしない―。ここに、普天間「移設」問題の根源があります。(竹下岳)


 米海兵隊 陸海空軍と並ぶ米4軍の一つ。真っ先に敵地に侵攻し、後続部隊の足がかりを築くのが任務。全戦力は三つの海兵遠征軍に振り分けられ、このうち第3海兵遠征軍は沖縄を拠点とする。沖縄の米軍基地の約67%、兵力の約58%は海兵隊。本土には岩国基地(山口県)、キャンプ富士(静岡県)がある。





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