2010年8月30日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPRESS

介護職員と利用者 新しい絆

聞かせて 戦争の話

平和でないと福祉よくならない


 今年は戦後65年です。介護や福祉職場で働く労働者でつくる東京介護福祉労働組合では、介護サービスの利用者などから戦争体験の聞き取りをすすめています。戦争中の出来事を昨日のことのように話す利用者と若い組合員の間に新たな絆(きずな)がうまれています。(染矢ゆう子)


弟は極限まで使われた

 東京都小平市でデイサービスを行うNPO法人地域福祉ネットワーク第二こだまの介護福祉士で同労組副委員長の鈴木大智さん(27)は、利用者から「大ちゃん」と呼ばれる人気者です。

 ある日、昼食のとき、野中よう子さん(87)=仮名=に「戦争のときの話を教えて」と話しかけました。

 野中さんは、軍需工場の近くに働きに出ていました。「来る日も来る日も空襲だった。直撃をうけた人のあとには、骨もなく脂しか残っていなかった。おそろしくて食事もつくれず毎日生のナスやサツマイモを畑から取って食べていた」と当時のようすを話してくれました。

 鈴木さんは初めて、野中さんの弟の話を聞きました。体の弱い弟は軍需工場に徴用され、家族が何度帰してくれと頼んでも、帰されませんでした。

 ようやく帰ってきたときはやせて、目はくぼみ、すぐに死んでしまったといいます。「あのころの扱いは人間じゃなかった。生きているうちは極限まで使う。今みたいに政府に文句も言えない。文句を言うとぶっ殺されてしまう。鬼だったよ」

 「野中さんの苦労を聞いているとぼくの苦労がちっぽけに見えるよ」と鈴木さん。野中さんは「毎日死ぬことばっかり考えてたよ。生きてて良かった。こだまに来て良かった」と笑い、「戦争はこりごりだ」と語りました。

国民は何も知らずに

 デイサービスを利用している細江光江さん(86)は結婚して満州(中国東北部)に渡りました。現地の中国の農家から農作物を集める仕事をしていた亡き夫は、満州に着いて1週間後に徴兵されました。ソ連軍の進出に備えて、穴を掘って爆弾を持ってその穴に入る練習をしていたといいます。

 ソ連軍が満州に来たときは、家族の目の前でレイプされ殺された人もいました。その後、細江さんの夫はシベリアに2年間抑留されました。そのころの過酷な労働について、夫は何も話しません。夫の戦友たちから多くの人が凍死したことを聞きました。ソ連軍の蛮行についての話になると、戦友たちは「ぼくたちは中国でもっとひどいことをしてきた。火をつけて部落を燃やした」と話したといいます。

 「軍が一番初めに満州から列車で逃げました。国民は何も知らされてなかった。日本の政策は間違っていたんです」と細江さんは話しました。

 鈴木さんと一緒に細江さんの話をうなずいて聞いていたボランティアの女子高校生(17)は「知らないことがいっぱい聞けて、貴重な時間でした。私の祖母も戦争だけは繰り返してはいけない、と話しています」と話しました。

 鈴木さんは言います。「祖母は2人とも亡くなり、今は話を聞きたくても聞けません。いろいろな体験を聞くことで、自分の糧になり、介護の仕事に就いて良かったなと思います。戦争体験を話す全員が『戦争は良くない』と言います。平和でなければ福祉も良くなりません。地域の9条の会や革新懇の活動をもっとがんばろうと思います」


仕事の尊さや意味を知ることに

 東京介護福祉労働組合の田原聖子書記長の話 戦争中の事例の募集は戦後60年の2005年から始めました。疎開先で母と別れた日のこと、夫の戦死を知った日のことなど、戦争中の体験は介護職員なら当たり前に聞いてきたことです。若い労働者が増え、介護現場にゆとりがなくなるなかで、労働組合として取り組むことが必要だと思い、始めました。

 高齢者が物を捨てなかったり、野菜に塩すらかけなかったりするのも、戦争中の物資不足の経験からだと知ることもあります。

 戦争の対極にある、福祉の仕事の尊さや意味を知ることにもつながります。

 経験を語ることは、65年たった今も、つらいことです。東京大空襲の被害が大きかった墨田区の老人ホームでは、聞き取りはできません。そこでは、終戦の日にテレビをつけることもできません。つらすぎて思い出せない、話したくないという思いを伝えていくことも大事だと思っています。


お悩みHunter

戦争なくすためにできることは

  高校2年生です。6月に修学旅行で沖縄へ行きました。自由研究として2学期の文化祭で、沖縄戦について調べたことを発表します。沖縄で聞いた沖縄戦の証言や資料館で見た展示はショックでした。二度と戦争を起こしちゃいけない。でも、世界中でいまも戦争や紛争が続いています。どうして戦争や紛争はなくならないのでしょうか。ぼくらにできることはあるでしょうか?(17歳、男性)

踏み出した一歩を、さらに

  ぜひ、自由研究を完成させて、発表してください。沖縄戦について調べまとめ、発信することは、沖縄戦の事実やあなたが受けたショックをあなたやそれを見た人の心身に刻むことです。

 戦争体験者がご高齢を迎えた今、戦争を語り継ぐためにも、大切なことだと思います。

 どうして戦争や紛争はなくならないのでしょうか。戦争や紛争によって、一握りの権力者が富を得るからだと、私は考えます。

 そこを注意深く見抜いてゆくことが大切です。そして、日本国憲法9条を日本と世界に広げることが大事なんだと、私は思います。

 私も、LIVE!憲法ミュージカルで、沖縄戦で日本軍に連れ合いを殺された女性を演じました。

 日本人を守るはずの日本軍が日本人を殺したという事実は、あまりにもショックで、その事実を演じることによって、今も私の心身に刻まれています。

 私たちにできることは、たくさんあります。それを見いだすのも、私たち自身です。

 あなたはもう、その一歩を踏み出しています。

 9月に2010東京・平和と交流のテーマパークを開催します。遊びに来てください。二度と戦争を起こさないために、あらゆる方法で共に戦争を語り継いでゆきましょう。


舞台女優 有馬 理恵さん

 「肝っ玉お母とその子供達」など多くの作品に出演。水上勉作「釈迦内柩唄」はライフワーク。日本平和委員会代表理事。





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