2010年8月24日(火)「しんぶん赤旗」

イージス艦衝突事件で初公判

被告 漁船に原因押しつけ


 千葉県沖で2008年2月、海上自衛隊のイージス艦「あたご」が漁船「清徳丸」に衝突し沈没させ、吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)、長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と業務上過失往来危険の罪に問われた「あたご」の元水雷長の長岩友久被告(37)、元航海長後瀉(うしろがた)桂太郎被告(39)の初公判が23日、横浜地裁(秋山敬裁判長)で開かれました。

 検察側は冒頭陳述で衝突が「あたご」側の監視不十分などによること、衝突時と直前の当直責任者だった両被告の漁船把握の認識ミスが重なったことが事故を発生させたと指摘しました。

 これに対し両被告は「検察の主張と事実はまったく違う」(後瀉被告)、「漁船の位置関係など大きく違い、検察の悪意に満ちた過失によって刑事責任を問われるいわれはない」(長岩被告)といずれも無罪を主張、全面的に争う姿勢を示しました。弁護側も「清徳丸の直前の右転がなければ衝突はなかった」とし無罪を主張しました。

 「漁船主因」説については、昨年1月の横浜地方海難審判所の裁決が「あたご」側の主張を全面的に退けています。海上衝突防止法上、相手を右に見る「あたご」側に第一義的な回避義務があったこと、そのうえで「あたご」が「監視不十分で漁船の進路を避けなかったことにより衝突が発生した」と認定しました。

 次回公判は9月21日に予定。来年3月末に結審します。


解説

被告、責任逃れの強弁

 公判で「あたご」側が主張する「清徳丸の右転が衝突の原因」は、責任回避の強弁でしかありません。海難審判では、海自側も回避義務をはじめ、見張り不十分や要員配置のミスについて否定しませんでした。「漁船の右転」も途中から主張し始めたもので、舩渡健艦長が示した衝突に至る航跡図は、海難審判では「合理性に欠ける」として退けられたのです。

 「漁船の右転回」は、「あたご」の回避義務という「壁」を突破するために持ち出した方便です。「あたご」が右手にいる清徳丸を回避する動作をしていれば「衝突は回避できた」(検察の冒頭陳述)のだから。

 「あたご」の回避義務を棚上げした「漁船の右転が主因」は、自衛艦の「そこのけそこのけ自衛艦が通る」という軍事優先を露呈させました。

 衝突事件から2年たった今年2月、清徳丸の母港、勝浦漁港で出会ったベテラン漁師の言葉が印象的でした。「自衛隊には漁船などの民間船には『そこのけ、そこのけ』が染み付いているんだよ」

 検察は証拠調べのなかで、吉清さんの遺族のことばを引用しました。「事故直後に『あたご』の艦長さんたちが自宅にきて涙をながして『申し訳なかった』とおわびした。自衛隊も反省していると思った。ところが海難審判がはじまると清徳丸が右転回したから衝突した、と父と兄に責任を押し付けてきた。あの涙はなんだったのか、これでは冷たい海に沈められた父と兄は救われない。漁船のせいにする『あたご』への怒りがわく」

 自衛隊の軍事優先、安全軽視の体質が、あらためて浮き彫りになっています。(山本眞直)





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