2010年8月23日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

鯨と生きて 400年

生きた証し 今に伝え


 最近クジラを食べましたか? かつて日本人の主要なたんぱく源だったクジラも、いまでは国民1人当たりの年間消費量が50グラム以下というデータもあります。いまもクジラを捕り、食文化を守っているまちがあります。また、かつて古式捕鯨で栄え、クジラを捕らないいまも当時の文化を伝えるまちがあります。千葉県の和田町(南房総市)と山口県長門市通(ながとし・かよい)を訪ねました。


千葉・南房総市和田町 

地図

 和田のツチクジラ漁は6月20日から8月末まで。捕獲枠は26頭です。ツチクジラは商業捕鯨の停止を決めた国際捕鯨委員会(IWC)の管轄外のため、国の自主管理のもとで捕獲されています。(ひとくちメモ参照)

 赤い屋根のかかるクジラ解体場で5日午前11時からオス(体長10・11メートル、体重約10トン)の解体が始まりました。肉を柔らかくするため捕獲から18時間たっています。観光客らが見守るなか、厚さ20センチもある皮と脂肪がウインチ(巻き上げ機)を使ってバリバリッとはがされます。約20人の「解剖員」が刃渡り40センチを超す大刀や小刀で肉を手際よくさばきます。短い昼食をはさみ作業は約2時間で終わりました。

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 房総の捕鯨は400年の歴史があります。紀州(和歌山県)の鯨組が勝山(現在の鋸南町)に移り住んで以来、基地を変えながらツチクジラを捕り続けてきました。和田浦に基地が移ったのは1949年です。

 小型捕鯨の環境は厳しく複雑です。西北太平洋などの調査捕鯨が拡大し、ミンククジラの流通が増えたため価格は下落傾向にあります。庶民には手が届きやすくなりましたが小型捕鯨の経営を圧迫しかねません。

 「私たち、それほど落ちぶれてません」といって笑うのは、和田唯一の捕鯨会社「外房(がいぼう)捕鯨」の庄司義則社長(49)です。「捕鯨は、IWCとか商業捕鯨といった記号(言葉)でイメージせず、まず実際の姿をよくみてほしいですね。地元のものを地元の人間が食べる、これは自然なことで、特別なことではないでしょ」

 庄司さんらは毎年、初漁の日(初漁祭)に地元の小学5年生を招いて解体を見せます。「大量の血を見て震えていた子も、そのあと民宿のおやじさんたちがつくったカツはぺろりと食べます。食べ物について考えるいい機会」と庄司さん。地元中学校で特別授業を行い、県南の安房地区の学校栄養士研修会で講演するなど、この時期は多忙です。

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 和田にはクジラ料理を出す民宿や店が20以上あります。和田浦クジラ食文化研究会と、同・おかみさんの会はそうした店が集まって活動しています。研究会会長で民宿経営の石井英毅さん(48)は、「カツや竜田揚げ、しぐれ煮にかなう料理はない」としつつ、「若い人にもぜひクジラを食べてもらいたい」と、カツロール、カルパッチョ、ギョウザなどレパートリーを広げてきました。

 発足から4年のおかみさんの会は「クジラ料理を楽しむ会」や「お月見の会」など毎年開いています。

 「最初の楽しむ会のとき、各家庭・店ごとに味の異なる20通りのしぐれ煮が並んで壮観でした」と話すのは、代表の櫟原(いちはら)八千代さん(61)。夫・秋治さん(61)とクジラ料理店を営みます。06年3月に6町1村が合併した際、「“和田浦のクジラ”が埋没しないか」と危機感を抱き、会を立ち上げました。

 市の市民協働課和田推進室長の小原靖喜(やすのぶ)さん(56)は「ここはボランティアの盛んな地域です。そうした横のつながりを生かした活動が町おこしに貢献しています」と期待を寄せます。

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 解体が終わるころ、バケツを持った住民が肉を買うために並びます。常連の木村和子さん(73)は「竜田揚げにフライ、つくだ煮には青ジソをまぶすとおいしいの」といって3キロ買いました。砂田広子さん(69)は房州名物「クジラのたれ」をつくります。しょうゆベースの自家製タレに肉を漬けて生干しし、軽く火にあぶって食べます。

 「宴席では、みんなクジラから箸(はし)をつける」(櫟原秋治さん)という和田の人たち。夏はクジラを捕り、食べる。それが和田の伝統です。(安保慶穂)


山口・長門市通

地図

 祝えめでたの/若松様よ/枝も栄える/葉もしげる/竹になりたや/薬師の竹に/通栄える/しるしの竹よ/納屋のろくろに/綱くりかけて/大せみ巻くのに/ひまもない/三国一じゃ網に/今年は大漁しょ/ヨカホエ

 山口県長門市通で鯨唄保存会が伝承している「通鯨唄」の「祝え目出度・大唄一番」です。保存会副会長でくじら館の早川義勝館長は「鯨唄は、大漁を祝うときや大漁を祈るときなどに歌われ、長老が歌ったあとでないとほかの人が歌えないという格式のあるものでした」と話します。

 通で捕鯨がはじまったのは、いまから300年以上前。クジラがエサを求め、また、出産や育児のため日本海を南下する旧暦の10月から翌年の3月にかけて行われました。初めのころは、沿岸に近づいてきたクジラをもりで突いて捕獲する方法でした。やがて、網を使って捕獲する組織的な「網獲り捕鯨」へと発展。江戸時代に長州藩に鯨組として取り立てられ明治末期まで230年以上続きました。

 当時「クジラ1頭捕れば7浦にぎわう」と言われるほど繁栄しただけに、通浦住民のクジラに対する思いは格別でした。全国でも珍しい「鯨墓(くじらばか)」を1692年に建立し、鯨の胎児七十数体を埋葬しました。また、鯨の位はいや、「鯨誉大音」「正誉鯨覚」などの戒名がつけられた過去帳が向岸寺に安置され、毎年4月には回向(えこう)法要が行われています。

 1992年からは県漁協通支店青壮年部の主催で「通くじら祭り」が夏に開かれナガスの模型を使った古式捕鯨が再現されます。

 早川館長は「保存会の役割は鯨唄を伝えていくだけでなく、通の捕鯨を文化として残していくことです。小中学生に鯨唄を教えていますが、そのなかで、いのちの大切さを伝えたい」と語ります。(山口県・松尾俊則)


ひとくちメモ

 ▼世界のクジラ 世界には80種類以上のクジラがいます。口の中にブラシのようなひげをもつヒゲクジラと、歯のあるハクジラに大別されます。ナガス、ミンクなどはヒゲクジラに、ツチ、マッコウ、ゴンドウ、イルカ類はハクジラに属します。

 ▼商業捕鯨の一時停止 クジラ資源を管理する国際捕鯨委員会(IWC)の決定のもと、1988年からすべてのヒゲクジラとマッコウクジラ(ハクジラ類)など計13種の商業捕鯨が一時停止となっています。増え続けるミンククジラは停止の対象ですが、南極海などで年間1000頭近い調査捕鯨が行われています。今年のIWC総会で日本沿岸でのミンククジラの商業捕鯨再開が検討されましたが、結論は先送りとなりました。

 ▼日本の沿岸小型捕鯨 基地は和田町のほか、網走、函館(北海道)、鮎川町(宮城県石巻市)、太地町(和歌山県)の計5カ所。5隻が操業しています。IWCの管轄外であるツチクジラ、ゴンドウ、イルカ類などを捕獲しています。国が、種類、捕獲枠、漁期、船の規模・数などを管理しています。





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