2010年3月5日(金)「しんぶん赤旗」

水俣病 声あげる「地域外」被害者

「海は同じ、差別しないで」

熊本・天草地域


 水俣病の公式発見(1956年5月)から54年。同じ不知火(しらぬい)海沿岸で暮らしながら、救済や補償の「指定・対象地域」外とされてきた未認定患者が、続々と声を上げ、裁判に参加しています。行政の勝手な線引きで“水俣病はない”とされてきた熊本県天草地域を訪ねました。(竹原東吾)


地図

 熊本市内から車で2時間20分。海岸線に張り付くような細い道路を抜けると天草市河浦町に着きます。

 2月27日、ノーモア・ミナマタ訴訟弁護団による「裁判説明会」が開かれました。集まったのは同14日、市内での水俣病検診で「水俣病疑い」と診断された人たちです。

 「水俣病は、私たちにはなかっじゃろと思っていた」。受診した女性(59)は、めまいや肩こり、就寝中の指つり、などの症状を抱えてきました。これまでは膠原(こうげん)病と診断されてきました。「長年の苦しみ(の原因)がわかった。生きていてよかった…」

 受診44人中42人が「水俣病疑い」との診断。今月7日にも、75人規模の検診が上天草市内で開かれます。

 水俣病闘争支援熊本県連絡会の原田敏郎事務局長は、「検診希望者は“殺到”状態だ。訴える人の手が下りることはしばらくないと思う」といいます。

海は一つだ

 「海はつながっています。差別しないでください」。上天草市の女性(69)は声を詰まらせます。昨年9月の「水俣病大検診」で重症の水俣病と診断されました。いま、ノーモア・ミナマタ訴訟原告団(不知火患者会)に加わり裁判中です。

 天草市下浦町戸の崎で育ちました。家から50メートル先が海。アサリ、アラカブ、タコなど魚介類が豊富にとれ、「朝昼晩、魚がない日はないぐらい食べた」

 中学生のころ、口から泡を吹き死んでいた猫を数回、見かけました。「魚を食べると水俣病になると聞きよりました。でも、それは水俣の人だけだと思っていた」

 美容師として働き始め体調の異変に気がついたのは30歳ごろ。こむらがえり(カラス曲がり)、めまい、吐き気をもよおす片頭痛などに悩まされてきました。

 引きつる指をお湯で温め、伸ばしながら続けた美容師。転機は10年前の夏。客のえりそでをカミソリで傷つけてしまいました。翌日、店をたたみました。「もう一度、大好きだった美容師ができる体に戻してほしい」

行政の矛盾

 水俣病被害者への補償制度は主に二つ。公害健康被害補償法による認定(現在、機能停止)と水俣病総合対策医療事業です。後者は保健手帳が交付され、医療費などの支給があります。ただ行政によって線引きされています。

 対象地域外の被害者は「裁判する以外にない」。天草市の倉岳町漁協・蛭子本臣偵(えびすもと・おみさだ)組合長(66)は厳しい表情です。不知火患者会に参加し裁判中です。

 同町はハモのはえ縄漁が盛んで、昭和30〜40年代には100隻ほどが水俣沖で操業。規格外の魚は漁師や家族が食べ、近所に配るなどしていたといいます。蛭子本さんは50代で、ジリジリとする手足のしびれ、こむら返りが始まりました。

 「ここからは行政の矛盾が見える」。蛭子本さんは対岸の上天草市龍ケ岳町を指さします。湾の先は「対象地域」です。距離にしてわずか1キロほど。「(水俣沖で)漁をして、魚を多食したのは倉岳町だって同じだ」



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