2010年3月4日(木)「しんぶん赤旗」

北・東富士演習場

自衛隊基地の米基地化

表向きは「解放」 実態は「確保」


 日本政府は日米地位協定2条4項bに基づく米軍と自衛隊の共同使用基地について、「わが方が主で、米軍が従」「一応時間的にいえば、1年のうち半数以上、向こう(米軍)が使用するのは主客転倒」(1971年2月27日、中曽根康弘防衛庁長官)などと説明しています。これが、同条項に関する政府統一見解とされています。

 しかし、米軍は表向き、北富士・東富士両演習場を「解放」して自衛隊に管理権を移しつつ、実際は占領時代からの優先使用権を確保していたのです。

 70年1月26日〜29日に開かれた米上院外交委員会の秘密会(通称・サイミントン委員会)議事録に、「在日米軍は(富士演習場を)毎年270日使用する権利を有している。69年にはこのうち68%にあたる184日使用した」と明記しています。2000年には東富士での米軍の使用日数が190日に達しました(日本共産党の赤嶺政賢衆院議員による調査)。密約は、今も有効なのです。

 これは北富士・東富士だけでの問題ではありません。80年代以降、地位協定2条4項bに基づく共同基地が急増し、在日米軍基地の総面積は2倍以上に広がっています。

 とくに97年から在沖縄米海兵隊の155ミリりゅう弾砲実弾演習、07年から沖縄・嘉手納基地に所属するF15戦闘機の本土への訓練移転が進み、移転先となった基地内に米軍専用の施設が次々つくられ、米軍による訓練回数の制限も撤廃されるなど、自衛隊基地の米軍基地化が急激に進んでいます。

 日本政府は、これら施設建設費や部隊・装備の移動経費や滞在先での水光熱費、燃料費、米兵が使用するレンタカー、携帯電話、食事などにいたるまで、すべて国民の税金でまかなっています。

 戦後、旧日本軍の基地を占領した米軍は主要基地を除いて日本側に「解放」しましたが、看板だけは「自衛隊基地」にかけ替えても優先使用権を確保するとの狙いが見えてきます。(竹下岳)


“解放”の経緯

 北富士・東富士演習場は長射程実弾射撃をはじめ、あらゆる火力訓練が可能な訓練場です。一年を通じて、陸上自衛隊や米海兵隊などが使用しています。東富士には海兵隊の基地・キャンプ富士が置かれています。

 1997年からは在沖縄海兵隊の実弾砲撃演習が行われており、昨年11月には北富士で強行されました。

 両演習場は52年に米軍施設となりましたが、多くの民有地を含んでおり、全面返還を求める住民のたたかいが起こりました。

 日本政府はこれをかわすため、自衛隊管理の基地へと「使用転換」する方針を決めます。米軍の優先権を盛り込んだ62年3月2日付協定案は、この方針に関連しています。

 「在日米軍コマンドヒストリー66年版」によると、日米両政府は67年4月に北富士・東富士を同時「解放」することを決めました。米軍は両演習場を一くくりにして「富士演習場」(FMA)と呼び、一体で運用していることから、同時「解放」の方が好都合だからだと推測されます。

 しかし、日本政府は66年3月に静岡県と「使用転換」協定を交わしましたが、67年4月に当選した田辺国男山梨県知事は、「北富士の全面返還」を掲げます。この結果、「使用転換」の時期は東富士が68年、北富士が73年になりました。

 北富士では住民が着弾地で座り込みを行うなど、激しい闘争が繰り広げられました。



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