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2009年9月24日(木)「しんぶん赤旗」

よみがえる「禁演落語」

戦時中に封印 「心に留めてほしい」

立川談之助さん 全席公演へ


 戦争中、軍部の圧力下で封印された「禁演落語」がありました。「こんな時代があったことを心に留めてほしい」。立川談之助さんが、封印53演目の全席公演を決意。26日、スタートします。


 東京・台東区の本法寺。境内に3メートル余の石碑があります。「はなし塚」です。建立は太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年10月。当時の講談落語協会や寄席関係者が、廓噺(くるわばなし)や妾(めかけ)・間男物など「時局にふさわしくない」53演目を選定、目録を塚の下に埋めました。

寄席も臨検

 芸術、芸能への軍部の圧力が強まり、寄席にも官憲の「臨検席」ができていました。芝居や映画は事前検閲できるけれど「なまの芸」の落語は何が飛び出すのかわからない。いっそ全面禁止にという事態に直面して「自主規制」の形で先手を打ったものらしい。

 封印作には、明烏(あけがらす)、品川心中、三枚起請など名作も多い。「こんなネタまで禁止とは、恐ろしい時代だと思う」と談之助さん。封印の日、塚の前で僧侶と神職による「葬式」をしました。談之助さんはこれを「落語家特有の皮肉で当局への反発」と見ます。

 封印作には、当時すでに「博物館入り」していた白銅やつづら間男、廓大学など今では誰もやらないものもあります。速記本や録音テープを探し出して発掘。「現代にも通じる形で再現してみたい」と言います。

平和でこそ

 数年前から、戦争を語り継ぐ会などで「禁演落語」を紹介。話題になり、全国各地の「9条の会」などで口演するうちに、今回の企画が生まれました。「3年をめどにゴールしたいし、落語のよさをもっと知ってほしい」と意欲を見せます。

 53演目は46年に封印を解かれましたが、実はその後、第2次「禁演落語」がありました。民族芸能を守る会の茨木俊事務局長によると、47年、GHQの指令で仇(あだ)討ちや武士道礼賛物20演目が追放されました。「埋めたり掘ったり忙しいことだが、3度目があってはならない」と茨木さん。「平和であってこその落語です」と、今回の企画に期待を寄せています。

 第1回禁演落語を聞く会は26日午後2時、東京・中野区のなかの芸能小劇場で。談之助さんと立川吉幸さんが出演。活弁の坂本頼光さんがゲストで当時の「国策映画」を紹介します。当日1500円、予約1200円。問い合わせ03(6316)5752。


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