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2009年9月11日(金)「しんぶん赤旗」

日本共産党創立87周年記念講演会

歴史の大局で到達点をとらえ、未来を展望する

――総選挙の結果と「建設的野党」の役割

志位和夫委員長の講演


 9日の日本共産党創立87周年記念講演会(東京・日比谷公会堂)で志位和夫委員長が行った講演を紹介します。


写真

(写真)講演する志位和夫委員長

 みなさん、こんばんは(「こんばんは」の声)。CS通信、インターネット中継をご覧の全国のみなさん、こんばんは。ご紹介いただきました、日本共産党の志位和夫でございます(拍手)。きょうはようこそお越しくださいました。

 まず私は、衆議院選挙で日本共産党を支持してくださった有権者のみなさん、猛暑のなかで大奮闘してくださった党支持者、後援会員、党員のみなさんに、心からのお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(大きな拍手)

 きょうは、私は、「歴史の大局で到達点をとらえ、未来を展望する」というテーマで、総選挙の結果と日本共産党が果たすべき役割について、お話をさせていただきます。

総選挙の結果――新しい歴史の幕開けと日本共産党の善戦・健闘

 みなさん。今回の総選挙で私たちは、「自民・公明の政権を退場させよう」と訴え続けてきました。総選挙の結果は、自民党は119議席へと議席を3分の1に激減させ、公明党も31議席から21議席に大きく後退させ、自公政権は退場することになりました(拍手)。私たちは、この結果を、日本の政治にとって前向きの大きな一歩であり、新しい歴史のページを開くものとして、心から歓迎するものであります。(拍手)

 私は、選挙結果の全体をみるうえで、大切な点が二つあると思います。

「二つの政治悪」を特徴とする自民党政治そのものの崩壊過程が始まった

 第一に、今回の結果は、たんに自公政権が崩壊しただけではない。「財界中心」、「日米軍事同盟中心」という「二つの政治悪」を特徴とする自民党政治そのものが、もはや通用しなくなり、その崩壊過程が始まった。ここに今回の総選挙の歴史的意義があることを強調したいと思うのであります。(拍手)

 「大企業が栄えれば、国が栄える」。この掛け声で、半世紀を超えて異常な「財界中心」の政治がつづけられました。それがもたらしたものは何だったか。派遣・パートなど不安定雇用が、働く人の3人に1人、若者や女性の2人に1人にまで広がりました。懸命に働いても貧困から抜け出せない「働く貧困層」とよばれる人々が1000万人を超えました。医療、年金、介護、障害者福祉など、あらゆる分野で社会保障が危機にひんしています。農林水産業と中小零細企業が衰退に追い込まれ、地域経済と地域社会が崩壊しつつあります。ごく一握りの大企業は巨額のもうけをあげたが、国民の暮らしからは安心も希望も奪われ、貧困と格差が社会を覆った。「大企業栄え、国亡(ほろ)ぶ」。これが自民党政治の帰結だったではありませんか。(大きな拍手)

 今回の選挙で示された国民の民意は、財界・大企業の横暴勝手へのきびしい批判でもあったという見方は、メディアでもあらわれています。(新聞のコピーを手にしながら)これは、9月5日、朝日新聞に掲載された連載「新政権 わたしはこう見る」の第1回「財界と政治」であります。経団連政治対策委員長の大橋光夫氏がインタビューを受けています。聞き手が「経済界は、自民党の長期政権下で、意思決定に深くかかわってきました。自民党大敗は、経済界への批判でもありませんか」と聞いたのにたいして、大橋氏はこう答えています。「そう見られていることを自覚して、経団連も反省し、変わる努力をする機会だ」。日本の政治を牛耳りつづけた日本経団連に「反省」をいわせたのは、主権者・国民の力であります(拍手)。そして自民党の真の敗因は、働く人々をないがしろにし、国民を犠牲にして、自らのもうけにだけ熱中する財界・大企業を応援する政治にこそあった、そうした政治を同じように続けることは、もはや通用しない、このことを財界・大企業は肝に銘じるべきだといいたいのであります。(拍手)

 外交においても、日米軍事同盟を絶対化し、何かといえば軍事で事を構えることしか考えない「軍事偏重」の政治が、変化しつつある世界でまったく通用しなくなりました。その象徴が、イラク戦争への態度です。公示前日の8月17日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会で、私が「この政権はいよいよ終わりだな」と痛感した一場面がありました。麻生首相は、「イラク開戦支持は誤りではなかったか」と問われ、誤りを認めなかったばかりか、「それなりの成果は出た」と最後まで居直りの態度を変えなかったのです。

 しかしみなさん。この問題では、世界はすっかり変わってしまっているではありませんか。アメリカでは、ブッシュ前大統領が「大統領在職中の最大の痛恨事」とのべ、イラク戦争反対を掲げたオバマ大統領が誕生しました。イギリスでは、米国とともに開戦に加わったブレア首相が辞任に追い込まれました。オーストラリアでも、開戦に加わったハワード首相が選挙で大敗し、代わって登場したラッド政権がイラクからの撤退をすすめています。「戦争仲間」たちはすっかり歴史の舞台から去ったではありませんか。世界はすっかり変わってしまっているのに、その変化が目に入らない。その姿は無残というほかないではありませんか。21世紀の世界はもはや、一つの超大国の思いのままになる世界ではありません。米国いいなりに「軍事同盟中心」「軍事偏重」をつづける政治は、今日の世界では通用しないということは、いまや誰の目にも明らかではないでしょうか。(拍手)

国民が新しい政治を探求する時代が本格的に到来した

 第二は、国民がくだしたのは「自公政権ノー」の審判であり、「民主党イエス」の審判とはいえないということです。「さよなら」という審判はくだしましたが、「こんにちは」という審判はくだしていないのであります。(笑い、拍手)

 それは、世論調査の結果にもはっきり表れています。朝日新聞の選挙後の世論調査では、「民主党が大勝したのは、有権者が民主党が掲げた政策を支持したことが、大きな理由だと思いますか」という問いに、「そう思う」と答えた人が38%、「そうは思わない」と答えた人が52%と過半数に達しました。民主党のいわゆる「目玉政策」についても、配偶者控除廃止など庶民増税と抱き合わせでの子ども手当にたいしては、賛成が31%に対して、反対が49%と多数であります。国民の税金を使っての高速道路の無料化にたいしては、賛成が20%に対して、反対が65%と圧倒的多数です。民主党の財源論については、選挙中の世論調査で8割もの人々が「不安」と答えています。「自公には愛想がつきた。民主党に期待してみたい。しかし不安がたくさんある」。これが多くの国民のみなさんの気持ちではないでしょうか。

 この点では、選挙結果を受けて、民主党の鳩山代表がつぎのようにのべたことを、私は、一つの率直な態度表明として、注目しています。

 「私は、今回の選挙結果を、単純に民主党の勝利ととらえてはおりません。国民の皆さんの政治へのやりきれないような不信感、従来型の政治・行政の機能不全への失望とそれに対する強い怒りが、この高い投票率となって現れたのだと思います」

 私は、政権を担うことになる民主党が、数の力に決しておごることなく、国民の声に謙虚に耳を傾けた政権運営を行うことを強く求めるものです。(拍手)

 2007年7月の参議院選挙で自民・公明が大敗し、参議院で多数を失ったさいに、私たちは、「国民が、自公政治に代わる新しい政治の中身を探求する新しい時代、新しい政治のプロセスがはじまった」とのべました。それに続く今回の総選挙の結果は、国民が自公政治に代わる新しい政治を探求する時代の本格的到来をつげるものにほかなりません。(拍手)

 今後の国民の探求の過程には、さまざまな曲折や、試行錯誤もあるでしょうが、国民の暮らしと平和にかかわるさまざまな問題を根本から解決しようとすれば、日本の政治は、「財界中心」、「軍事同盟中心」という「二つの政治悪」から抜け出し、「国民こそ主人公」の新しい日本にすすむことがどうしても必要となってくるでしょう。国民がいますすめている新しい政治への探求は、そこまですすむ必然性があります。みなさん。ここに確信をもってすすもうではありませんか。(大きな拍手)

日本共産党――試練の選挙で勝ち取った善戦・健闘の結果について

 この歴史的選挙で私たち日本共産党は、比例代表選挙で9議席を獲得し、現有議席を確保することができました。また得票では、投票率が上がるなかで、得票率は前回総選挙の7・25%から7・03%に後退したものの、得票数は491万9千票から494万4千票へと前進させることができました。比例代表選挙で、得票数を前進させたのは、民主党をのぞけば、日本共産党だけでありました。(拍手)

 この総選挙は、日本の歴史の新しい扉を開く選挙でしたが、わが党にとって試練の選挙でもありました。この選挙でわき起こった「自公政権ノー」の激しい風は、日本の政治を前に動かす流れであり、私たちと志を共有する流れであります。同時に、この流れが、「二大政党」の「政権選択」という大キャンペーンのもとで、野党第1党としての民主党への支持に集中し、わが党の前進をはばむ大きな「圧力」となったことも事実でありました。

 こうした激しく厳しい選挙で私たちが得た494万票という得票は、前回票にただ2万票余を積み上げたというだけのものでは決してありません。メディアの出口調査の結果を見ると、比例選挙でわが党支持者の約12%が民主党に流れたとのデータがあります。そうした人々は、決して、わが党に「愛想がつきた」というものでないと思います。「自公政権を倒したい」という思いからのものでしょうし、ひきつづきわが党を期待をもって見てくれている人々だと思います。同時に、おそらく100万余という規模で、新たにわが党に投票してくださった人々が生まれた。全国各地から、保守層もふくめてはじめて日本共産党に思い切って投票したという声が数多く寄せられました。そうした激しいたたかいの結果、全国の党と後援会のみなさんの大奮闘の結果が、この2万票余の得票増だということを、私は強調したいと思うのであります。(拍手)

 わが党に支持を寄せてくれた494万人の多くが、真剣に政策を読み、考え、見極めて選んでいただいたというのも、私たちの実感であります。街頭演説でも、総選挙政策――「マニフェスト」が次々と受け取られ、演説を聞きながら「マニフェスト」を真剣に読む姿が、全国どこでも共通して見られました。

 さらに、選挙後、党本部にも多くの激励が寄せられておりますが、「政権交代は本当に良かった。でもこれからが心配です。建設的野党として新政権の監督をお願いします」(笑い)など、明らかにわが党に投票はしていない(笑い)と思われる方からの激励も少なくありません。494万人というわが党を支持してくださった方々の外側に、日本共産党に共感と期待を寄せてくださっている少なくない人々が生まれていることも、多くの方々が感じられていることではないでしょうか。(拍手)

 みなさん。こうした激しく厳しい選挙戦の条件のもとで、多くの国民と宣伝・対話をつうじて心を通わせ、現有議席を確保し、比例での得票を伸ばして494万票を得たのは、善戦・健闘といってよい成果ではないでしょうか。(大きな拍手)

 しかもそれが、わが党の場合、「風」頼みではない、自らの草の根の力で勝ち取った成果であることは、とりわけ重要ではないでしょうか。(拍手)

 私は、わが党を支持してくださった国民のみなさん、奮闘してくださった全国の仲間のみなさんに、重ねて心からの感謝を申し上げるものです(大きな拍手)。また、この歴史的たたかいの先頭にたって、昼夜をわかたぬ奮闘をされた全国の比例代表候補者、小選挙区候補者のみなさん、それを支えてくださったすべての方々に、この場をお借りして、心からの敬意と感謝の気持ちをお伝えするものです。(大きな拍手)

 私たちは、この選挙をたたかう政治論戦の基本姿勢として、自公政治への怒りを国民と共有しながら、日本の前途をともに探求し、党の役割を語るという姿勢を貫きました。7月16日に幹部会声明「自公政権を退場に追い込む決定的な“審判”をくだし、新しい日本の進路の“選択”にふみだす選挙に」を発表し、これを土台に情勢の進展にそくして政治論戦を発展させました。私たちの政治論戦は、国民の気持ちにそくしたものであり、全体として的確なものであったと考えるものであります。(拍手)

 わが党が自公政権退場の先頭に立つという断固たる立場を表明したことは、圧倒的多数の国民との対話の扉を開くものとなりました。また、わが党は、21世紀の日本の進路として「二つの旗印」――「ルールある経済社会」、「憲法9条を生かした平和外交」を掲げてたたかいましたが、自公政治に代わる新しい日本のビジョンを掲げて選挙をたたかったのは、日本共産党だけでありました(拍手)。さらにわが党が、民主党中心の政権ができた場合には、「建設的野党」として奮闘するという立場を表明したことは、多くの国民に新鮮な共感をよびおこしました。

 投票日翌日のNHKで、ある政治評論家が次のように語ったことは印象的でした。

 「共産党は、オバマ大統領の核兵器廃絶を目指す演説を評価して一味違う印象を受けました。共産党は民主党政権に対しても是々非々の『建設的野党』の立場をとるといっているわけですが、これからの共産党の動向にも目が離せません」(拍手)

 ぜひ目を離さず(笑い)、報道していただきたいと思います。(拍手)

 みなさん。私たちが展開した政治論戦が、広い国民のみなさんの気持ちにそった攻勢的な訴えとして、善戦・健闘を支える力になったことを、おおいに共通の確信にしようではありませんか。(大きな拍手)

「もっと伸ばしたかった」――強く大きな日本共産党の建設を

 全国のともにたたかった仲間から、現有議席を確保したことへの喜びとともに、「もっと伸ばしたかった」、「議席を伸ばせなくて悔しい」との思いも寄せられています。私たちも同じ思いであります。私たちが得た結果が、掲げた目標に及ばなかったことは事実であり、私たちはもとよりこの結果に安住するものではありません。総選挙の総括と教訓は、10月中旬に開催予定の第9回中央委員会総会で明らかにしたいと思います。

 ここで強調しておきたいのは、この総選挙が、私たちが実力をつける途上での選挙だったということであります。2007年の参議院選挙から教訓を引き出した07年9月の第5回中央委員会総会以降、私たちは雇用問題、平和問題をはじめ、国民要求にもとづく運動をあらゆる分野で豊かに発展させる先頭にたちました。「綱領を語り、日本の前途を語り合う大運動」にとりくみ、「集い」はのべ90万人の人々が参加する空前の規模に発展しました。「しんぶん赤旗」の読者を増やす努力とともに、新しい党員を迎えるとりくみを強め、この2年間に新たに入党した党員は2万1700人に達し、党員数を22カ月連続前進させて総選挙をたたかいました(拍手)。これらすべての努力が、総選挙の善戦・健闘の力になったことは疑いありません。

 同時に、選挙結果についての常任幹部会声明でのべたように、「この努力の到達点はまだ初歩的であり、前進の途上にあります」。どんなに激しく厳しい情勢のもとでも、前進する自力をつけるうえでは、私たちの努力は、初歩的であり、端緒的であり、発展途上であります。今度の選挙で奮闘されたみなさんは、本当に素晴らしい頑張りをされたと思います。しかし私たちの自力はまだ足りません。私は、次の国政選挙での勝利を展望した場合に、ここにこそ私たちが総選挙から引き出すべき最大の教訓があると考えるものです。

 新しい政治情勢のもとで、日本共産党の果たすべき役割は、ますます大きくなるでしょう。私たちはその役割を担うにふさわしい、強く大きな日本共産党を建設する決意を新たにするものであります。どうかそのためのご協力を心からお願いいたします。(大きな拍手)

歴史の大局で到達点をとらえる――日本政治史の三つの時期と日本共産党

 みなさん。この集いは、党創立87年の記念の集いであります。そこで、いま私たちが立っている地点を、日本の戦後政治史の大局でとらえ、未来を展望してみたいと思います。

 今回の総選挙での自民党の野党への転落は、1993年から94年にかけてのいわゆる「非自民政権」のさいの10カ月余の一時的下野をのぞけば、1955年の自由民主党結党以来の歴史的出来事となります。自民党結党時の総裁は、くしくも鳩山一郎氏でありました。同じ年に、左右に分裂していた社会党が統一し、いわゆる「55年体制」とマスコミが呼んだ体制がつくられました。また同じ年に日本共産党は、ソ連などの干渉と結びついてつくられた分裂状態から一定の団結を回復する一歩を踏み出すことになりました。そこで私は、1955年の自民党結党以後の日本の政治史の流れのなかで、私たちがいま立っている地点を見てみたいと思います。

 私は、大まかにいって、この半世紀余の日本の政治史を、つぎの三つの時期に分けてとらえることができると思います。

保守対革新の対立の時期――密室・なれあい政治を打破した日本共産党の躍進    

 第一の時期は、保守対革新の対立の時代です。この時代の初めは、「55年体制」といわれる与野党関係でよく表現されました。すなわち、保守陣営を統一した自由民主党が長期に政権をにぎり、野党では社会党が「代表」という政治構図から始まりました。しかしこの体制は、表舞台では激しい論戦がおこなわれましたが、裏舞台では密室・なれあい政治が実態でした。

 それを打ち破ったのが、1960年代終わりから70年代前半にかけての日本共産党の国政選挙での連続躍進でした。1972年の総選挙で日本共産党・革新共同が40議席に躍進しますと、さかんにいわれたのが「夜の政治」が不可能になったということでした。それまでは野党の幹部を赤坂の料亭に呼んで話をつけるというのが自民党の国会対策でしたが、それができなくなった。72年の総選挙の開票の翌日の東京新聞をみますと、自民党が共産党は赤坂の料亭には来てくれないだろう(笑い)といって心配している記事が出ております。(新聞のコピーを手にしながら)これですが、「“共産党ショック”」「通用せぬ『マアマア』」「“裏取り引き”に光る目」という大きな見出しです。記事の書き出しは、「『ウーン、弱った、弱った。頭が痛いよ』。予想をはるかに超えた共産党の大躍進が、動かし難い現実となったとき、自民党の筆頭副幹事長竹下登氏は、親しい記者にこうもらした」。「“夜の赤坂”も縁遠くなる?」(笑い)という見出しも立っています。こんな記事なんですね。ここまで、大きな変化をつくり出しました。

 地方では、革新自治体が全国に広がり、そこに暮らす人口は、日本の総人口の約43%にも達しました。そして、地方から始まった革新統一戦線の運動が、国政にもおよび、日本共産党と日本社会党との党首間で、3回にわたって革新統一戦線をめぐる合意が結ばれるまでにいたりました。これらは、支配勢力に体制の危機にもつうじる衝撃をあたえました。

反動攻勢と「オール与党」政治の時期――不屈のたたかいは現代に生きる

 第二の時期は、反動攻勢と日本共産党をのぞく「オール与党」政治への転換の時代です。日本共産党躍進に恐れおののいた支配勢力は、1970年代の中ごろからの日本共産党を「暴力と独裁」の党だとする反共キャンペーンを皮切りに、徹底的な日本共産党の「封じ込め」作戦を開始しました。社会党・総評を取り込む革新分断作戦がおこなわれました。それらの決定的転機となったのが、1980年に社会党と公明党との間で結ばれた日本共産党排除、日米安保条約容認の「社公合意」でありました。

 このあと、日本共産党排除は、あらゆる政治場面に持ち込まれました。国会をめぐるニュースでも「日本共産党をのぞく」ということが枕ことばとなりました。当時を振り返ってみますと、テレビのアナウンサーが「日本共産党…」と言い始めるので、わが党のニュースかと思って聞きますと、「をのぞく」(笑い)とつづくということが日常でありました。革新自治体もつぎつぎと破壊され、日本共産党をのぞく「オール与党」体制が、全国の自治体を覆っていきました。

 しかし、日本共産党は、一定の後退を余儀なくされながらも、国政での陣地を踏みとどまり、党勢を持ちこたえ、この攻撃に不屈にたちむかいました。統一戦線運動では、日本共産党と無党派との共同という大方針を提唱し、1981年に全国革新懇が発足しました。この運動は、今日、ますます幅広い人々の参加を得て、その生命力を発揮しています。地方自治体では、日本共産党と無党派の人々との共同で革新・民主の自治体をつくろうという新しい動きが広がりました。この動きは、東京都狛江市、岩手県陸前高田市、埼玉県蕨市をはじめ、今日も曲折を経ながらさまざまな形で発展しています。

 困難な時代のなかでの奮闘の値打ちは、後から振り返ってみるとよくわかるものであります。わが党が、どんな「日本共産党をのぞく」という締め出しにも屈しないで、日本の未来を憂うる心ある人々との新たな共同を探求したことは、奥深いところで私たちへの信頼を広げ、新たな友人を広げました。私たちの現在の多くは、この時期の不屈の活動に支えられていることを、私は強調したいと思うのであります。(大きな拍手)

 国民のたたかいとわが党の不屈の活動によって、「オール与党」体制に矛盾とほころびが起こりはじめました。とくに1989年4月、消費税が導入され、それに反対する国民世論が日本列島を揺り動かしました。この年の3月の千葉県知事選、4月の名古屋市長選挙で、政党としては日本共産党だけが推薦する革新候補が、「オール与党」候補と対決して、40%以上の得票を獲得したことは、支配勢力に衝撃をあたえ、マスコミでも「地殻変動」という言葉が飛び交う状況が生まれました。

 「オール与党」体制というのは一見強いようですが、失敗したらたいへんです。失敗すれば国民の批判の「受け皿」となるのは日本共産党しかありません。そうしたもろい体制にほかなりません。ですから、支配勢力は、この体制では限界があると感じはじめました。この体制での日本共産党「封じ込め」に限界を感じ取り、新たな手だてをとりはじめました。それが日本の政党戦線を無理やり「二大政党」にはめ込もうという動きであります。こうして私たちは、第三の時期を迎えることになります。

「二大政党」づくりとのたたかいの時期――支配勢力の狙いは果たされたか

 第三の時期は、1993年から今日に続く時期――「二大政党」づくりとのたたかいの時期であります。この企ては、財界が主導し、小選挙区制の導入と一体にすすめられました。支配勢力がこの策動に込めた狙いは、端的にいえば次の二つでありました。

 一つは、同じ自民党政治の土台のうえで、「二大政党」による政権交代をおこなう体制をつくりあげ、この体制のもとで悪い政治――悪政を競い合わせ、危機に陥った自民党政治の延命をはかることであります。

 いま一つは、小選挙区制の導入と、「二大政党」以外は選択肢の外におくというキャンペーンの両方によって、日本共産党の活動と存在を日本の政界から締め出し、あわよくば抹殺することであります。

 支配勢力のこの二つの狙いは果たされたでしょうか。

 今から振り返りますと、「二大政党」づくりの動きは、自民党政治の行き詰まり・衰退の進行とともに、その姿形を変えていることがよくわかります。私は、大まかに見て、「二大政党」づくりの動きは、政権に直接かかわる衆議院選挙でみるならば、つぎの三つの段階に区分してつかむことができると思います。その歴史の一到達点として現在を見てみたいと思います。

1993年総選挙――「自民政治の継承」を公然とうたう

 最初の段階は1993年の総選挙であります。「二大政党」づくりの動きが最初にあらわれたのが1993年の総選挙でありました。

 この時期に、リクルート事件、ゼネコン疑惑など、金権腐敗事件が続発し、自民党は腐りきった姿をあらわにしました。そうしたもとで、自民党のままでは国民の支持を得られないと考えた自民党勢力の一部が、自民党を割って出て、社会党、公明党、民社党などと「非自民」連合をつくり、「自民か、非自民か」というまやかしの「選択」を国民に迫りました。「自民か、非自民か」、それにあらずんば人にあらずと(笑い)、そういう調子でした。これはわが党に強烈な逆風となって作用しました。

 私自身にとっては、この総選挙が初めて候補者としてたたかった国政選挙で、旧千葉1区でのたたかいでしたが、激しい逆風のうえに、知名度もなく、マスコミの事前予測で「当選は絶望」(笑い)といわれるなか、地元のみなさん、全国のみなさんの力でようやく押し上げていただいた思い出深い選挙です。

 選挙中のテレビのインタビューで、質問者から「自民か、非自民か。共産党は蚊帳の外ではないですか」、こう聞かれて、私は、「蚊帳の外というが、蚊帳の中こそ問題だ(笑い、拍手)。金権腐敗のボウフラがわいて(笑い)、消費税増税の血を吸う蚊がぶんぶん飛んでいる。そんな汚い蚊帳の中には頼まれても入らない」(笑い、大きな拍手)。こう言ったことを思い出します。

 この選挙の結果つくられた「非自民」政権が、まっさきに宣言したのは、「基本政策はこれまでの政策を継承する」――自民党政治の継承を公然とうたうことでありました。現実に実行したことは、小選挙区制・政党助成金の導入、コメ輸入の自由化、消費税増税の計画を夜中に突然打ち出す(笑い)など、自民党以上に自民党的な悪政でありました。

 この時期の「二大政党」論は、「自民党政治の枠内の政権交代ですから、どうかご安心ください」ということを平気で押し出したことに特徴がありました。自民党政治はすでに深刻な衰退の過程にありましたが、まだそういう押し出しが通用するだけの力が残っていたのがこの時代の自民党政治でありました。

 しかし、「非自民政権」は国民の批判をあび、内部矛盾も表面化して瓦解します。その後、新進党の結成など「二大政党」をつくろうという動きは続きましたが、ことごとく失敗し、政党の離合集散が繰り返されました。

 そうしたなかで、筋をつらぬく日本共産党への信頼と共感が急速に広がり、1990年代後半の一連の国政選挙で日本共産党は大躍進をとげることになりました。96年の総選挙で726万票、98年の参院選では820万票と空前の躍進がつづきました。やっぱり「汚い蚊帳」には入らなくてよかった(笑い)。筋を貫いてよかった。国民の立場にたって筋を貫くことがどんなに大切か、そのことを一連の躍進は示したと考えるものであります。(拍手)

2003年総選挙――財界主導の「二大政党」づくりと悪政の競い合い

 二つ目の段階は2003年の総選挙であります。

 1990年代後半の日本共産党の躍進に危機感を燃やしたのが、財界でした。このまま共産党が伸びたら日本はたいへんなことになる。もう政治家にまかせてはおけない。こうなったら自分が腕まくりして直接乗り出し、自分でシナリオを書いて、「二大政党」の仕組みをつくりあげよう。こうして文字どおり財界主導の「二大政党」づくりの動きが本格的に発動されたのが、2003年の総選挙でありました。

 最初のシナリオライターは経済同友会でした。2002年10月に発表された経済同友会の「提言」では、(1)選挙のやり方を、政権党とそれにとってかわろうとする野党第1党が「対決」しあう「政権選択」選挙に切り替えること、(2)選挙制度を、比例代表部分をなくして小選挙区一本にしてしまう制度に改革することを提唱しました。

 つづいて日本経団連が本格的に乗り出しました。2003年1月に発表された経団連の「提言」では、「野党は、政府・与党への単なる批判勢力から脱皮し、いつでも政権にとって代われるだけの能力を備え、国民の信頼を得ていかなければならない」と、「二大政党」づくりへの号令をかけました。

 7月には旧民主党と自由党の合併の合意が発表されましたが、このシナリオをつくったのも財界でした。さらに9月には、政治献金の新しい方式として、日本経団連が身勝手な「政策要求」を並べて、それへの賛同の度合いによって政党ごとの献金額を決めていくという、公然たる政党買収の仕組みが導入されました。

 こうして、2003年11月の総選挙では、財界がシナリオを書き、その力を総動員し、その手のひらの上で、「自民か、民主か」の「政権選択」を押し付けるという空前のキャンペーンが展開されました。わが党は、突如起こった政治地図の激変を、分析しながら、果敢にたたかいましたが、後退を余儀なくされました。

 いまから振り返りますと、自民、民主両党にとっても、この選挙は、完全に財界の手のひらの上の選挙だったことがよくわかります。形の上では「対決」といっても、両党がともに主張したのは、「消費税増税」と「憲法改定」であり、それを競い合うことでした。財界の手のひらの上での「悪政の競い合い」――これが03年総選挙の特徴でした。

 それは、当時の民主党が掲げた「マニフェスト」を読み直してみるとよくわかります。そこには「自公政権打倒」という立場はなく、つぎの主張がのべられます。

 「政権交代が実現すれば、日本も本格的な二大政党時代に突入します。そして、自民党も自己改革を迫られ、日本の政党政治も21世紀にふさわしいものに本格的に脱皮していくでしょう」

 すなわち、あくまで目標は、「政権交代可能な二大政党制をつくる」というところにあり、自民党は打倒の対象というよりも、手に手をとって「二大政党」の一翼を担うパートナーとして位置付けられているのであります。

 しかし、自民党政治と国民との矛盾はいよいよ深刻になっていきます。こうしたやり方ではやっていけない段階に、日本の政治はすすむことになります。

2009年総選挙――「自公政権を終わらせよう」が正面の課題に

 三つ目の段階が今回の2009年の総選挙であります。

 自公政権のもとですすめられた「構造改革」路線によって、貧困と格差が社会を覆い、自民党政治の衰退と没落が急速にすすみました。2005年のいわゆる「郵政選挙」では、「自民党をぶっ壊す」という「小泉劇場」の「壮大」なペテンによって、かろうじて延命した自民党でしたが、うそとごまかしがはがれおちた後の自民党は、坂道を転げ落ちるように国民から見放され、崩壊への道をたどりました。

 そうした状況の変化のもとで、民主党の側も、2003年の総選挙の時のように同じ政策目標を掲げて実行力を競い合うというやり方を変更しなければならなくなりました。いわゆる「対決型」の選挙への転換であります。今回の総選挙で民主党は「政権交代」を打ち出し、「自公政権を終わらせよう」ということを打ち出しました。今回の民主党の「マニフェスト」には、「国民を苦しめている古い仕組みを終わらせよう」という訴えがあります。ここでいう「古い仕組み」とは、「官僚主導の政治」のことでありましょう。そういう限界はあるにせよ、「古い仕組み」の否定と言わざるを得なくなったのは、自民党政治の衰退過程がすすみ、国民の激しい批判と怨嗟(えんさ)の声が、抑えようもなく高まった結果であります。

 そして、「自公政権を終わらせよう」ということを打ち出したことにともなって、民主党の政策には、従来の「悪政の競い合い」の側面とともに、国民の要求を部分的に反映した政策という側面も生まれました。たとえば、温室効果ガスの中期削減目標を25%にするなどの、財界の意思とは明らかに矛盾する公約も打ち出されました。財界主導で始められた「二大政党」づくりの動きのなかで、いまや財界の手のひらに乗りきらない、そこからこぼれ落ちる部分も生まれてきているのであります。

財界の当初の狙いとは異なる事態が起こった

 こうして、財界の当初の狙いとは異なる事態が起こりました。

 第一に、「二大政党」による悪政の競い合いによって、危機に陥った自民党政治の延命をはかるという目的はどうなったでしょうか。延命どころか、「二大政党」の土台となるはずだった自民党政治そのものの崩壊過程が始まっているではありませんか(拍手)。あまりにも自民党の崩壊が激しいので、メディアからは、「自民党よ、野党としてしっかり立ち直ってくれ」(笑い)という声も聞こえますが、この党が「立ち直れる」かどうか。財界からは「建設的野党として大いに頑張るべきだ」(爆笑)という声もあがっていますが、そう簡単にいくものではありません。「建設的野党」とは、にわかにやれるものではありません(笑い、拍手)。目前の特別国会での首相指名選挙で、だれに投票したらよいか分からなくなって紛糾するほどに(笑い)、自民党の政治的・組織的解体は深刻であります。財界は「二大政党」づくりに熱中したものの、その一方の担い手である自民党をすりつぶしてしまいかねない深刻な矛盾に陥っているのであります。(拍手)

 第二に、日本共産党の活動と存在を日本の政界から締め出すという目的はどうなったでしょうか。わが党は、「二大政党」づくりが本格的に持ち込まれた2003年以降の4回の国政選挙で、一貫して400万票台の得票を維持し、今回の総選挙では500万票に迫りました。日本共産党がこの数回にわたる国政選挙でその地歩を維持し、元気だということ、日本共産党の締め出しに失敗したこと、私はここにこそ支配勢力の最大の誤算があるということを強調したいと思うのであります。(大きな拍手)

 支配勢力が、つぶすつもりだった日本共産党は元気いっぱいで、延命させるつもりだった自民党政治の崩壊が始まった。さらに国民の批判の矛先は、横暴勝手をつくした財界そのものにも向けられているではありませんか。これは何とも皮肉な展開ではありませんか(拍手)。何とも痛快な展開ではありませんか。(大きな拍手)

 みなさん。こうした状況をつくり出したのは、自民党政治と国民の利益との和解しがたい矛盾であり、暮らしと平和を守る国民のたたかいであり、国民と連帯した日本共産党の不屈のたたかいであります。(大きな拍手)

 そして、こうした歴史の流れにてらしても、今回の選挙でのわが党の善戦・健闘が、どんなに大きな歴史的意味をもつかを、私は重ねて感謝を込めて強調したいと思います。(拍手)

日本共産党の存在と発展にこそ、日本の未来がかかっている

 みなさん。1955年以来の日本の戦後政治史は、その三つの時期の全体を通じて、つねに日本共産党が、支配勢力の最大の封じ込め・締め出しの対象とされながらも、正確な綱領路線のもとで、不屈さを発揮し、意気軒高で奮闘してきたことを示しています。そしてそのことが、自民党政治を崩壊過程に追い込む最大の力となっていることを示しています。

もちろん、支配勢力の側が企てた「二大政党」づくりとのたたかいはつづきます。相手が私たちを政界から締め出そうとする野望とのたたかいはつづきます。このたたかいの帰すうが日本の未来を決めていきます。日本共産党の存在と発展にこそ、日本の未来がかかっていることを、私は訴えたいと思うのであります。(大きな拍手)

未来を展望して――日本の政治をどうやってさらに前にすすめるか

 みなさん。歴史の流れのなかで到達点をみてきましたが、つぎに未来について語りたいと思います。

 9月16日に召集される特別国会では、民主党中心の政権が発足します。この新政権のもとで、日本共産党は、選挙中から公約してきたように、「建設的野党」として日本の政治をさらに前にすすめるために奮闘します。

「建設的野党」の意味――過渡的な性格をもった新政権のもとで歴史を促進する

 まず、私たちが「建設的野党」という立場を打ち出した意味について話したいと思います。

 すでにのべたように、今回の総選挙では、民主党が「自公政権を終わらせよう」「古い仕組みを終わらせよう」ということを掲げて、政権を獲得する状況が生まれました。そのことにともなって、民主党の政策・路線にはある過渡的な性格が生まれました。

 すなわち、民主党の政策・路線には、「財界中心」、「軍事同盟中心」という自民党政治の「二つの政治悪」から抜け出す立場はいまのところ見られませんし、国民の利益に反する問題点も少なくありませんが、部分的には国民の要求を反映した政策も打ち出されています。こういう過渡的な性格をもった政権が生まれようとしているのであります。

 私は、これは、大局的・歴史的にみれば、自民党政治の衰退と崩壊のもとで、何よりも国民の世論と運動、そして日本共産党のたたかいがつくり出した、日本の政治の新しい一局面だということを強調したいと思います(拍手)。そして、この政治の新しい局面をさらに前にすすめるかどうかの最大のカギとなっているのも、国民の世論と運動、日本共産党のたたかいであることを、訴えたいのであります。(「そうだ」の声、拍手)

 私たちは、日本政治の新局面で、歴史を促進する立場を端的にしめすものとして、「建設的野党」という立場を鮮明にしたのであります。

 それでは、「建設的野党」としての仕事はなにか。日本共産党は、つぎの二つの仕事にとりくむことをお約束するものです。

現実政治を前に動かし、国民要求を実現する仕事    

 第一は、現実政治を前に動かし、国民の要求を実現する仕事です。すなわち、民主党中心の政権のもとで、積極的に政策提言をおこない、「良いことには協力する、悪いことにはきっぱり反対する、問題点をただす」という仕事を果たすことであります。

「良いことには協力」――実現のためには国民のたたかいこそ重要

 「良いことには協力する」という点では、日本共産党がずっと力を入れて主張してきた一連の課題があります。

 国民の暮らしの問題についていえば、労働者派遣法の抜本改正、後期高齢者医療制度の撤廃、障害者自立支援法の「応益負担」の廃止、生活保護の母子加算の復活、高校授業料の無償化、返済不要の給付制奨学金制度の創設、時給1000円以上への最低賃金の引き上げなどであります(拍手)。

 これらについては、民主党の「マニフェスト」にも共通する方向が含まれました。わが党は、これらの課題について新政権と協力し、それぞれについて不十分な点、問題点は修正を提起し、より良いものとして実現するよう、具体化と実行を求めていくものであります。(大きな拍手)

 ここで私が強調したいのは、これらの課題は、そのどれもが、国民の運動と日本共産党の奮闘によって現実政治の課題に押し上げたものであり、その実現のためには国民と共同してのたたかいこそが重要だということであります。

 たとえば、労働者派遣法をめぐっては、1999年に強行された派遣労働の原則自由化という法律の大改悪に反対を貫いた政党は、日本共産党だけでありました。この大改悪に象徴される労働法制の規制緩和の流れを転換させて、規制強化の方向の法改正が民主党からも提案されるまでにいたった何よりもの力は、労働者・国民のたたかいの力だということを強調したいと思うのであります(大きな拍手)。派遣法改正については、すでに財界からは「非常に違和感を覚える」(笑い)と抵抗する声があがっています。労働者派遣法の抜本改正のために、いまこそ労働者・国民のたたかいを大きく広げることを心から呼びかけるものであります。(拍手)

 もちろん、国民の暮らしにかかわる切実な要求で、民主党の政策に含まれていない問題も少なくありません。これらの問題では、新政権に実行を迫っていく国民的運動を各分野で起こすことを呼びかけたいと思います。

 たとえば、わが党は、高齢者と子どもの医療費の窓口負担を、国の制度として無料とすることを提案し、この提案には多くの国民の共感と期待が広がっておりますが、これらの課題は民主党の政策のなかにはありません。しかし、医療費の窓口負担の軽減は、日本医師会をはじめ、医療関係団体もそろって要求している国民的課題にほかなりません。みなさん。ここでも、国民の連帯したたたかいの力で、この切実な課題の実行を強く迫っていこうではありませんか。(大きな拍手)

「悪いことにはきっぱり反対」――財界主導で持ち込まれた問題とたたかう

 「悪いことにはきっぱり反対」という点では、私たちは、選挙中から、民主党の「マニフェスト」に、日本の農業とコメに壊滅的打撃を加える日米FTA(自由貿易協定)の交渉促進、国民多数の声を国会に届かなくさせる衆院比例定数削減、さらに消費税増税や憲法9条改定への志向などが盛り込まれていることを、きびしく批判し、これらの暮らし・民主主義・平和を脅かす動きが具体化された際には、それを阻(はば)む「防波堤」として奮闘することを、約束してまいりました。

 ここで注目していただきたいのは、いま列挙したような有害な諸問題は、そのどれもが国民の要求によって盛り込まれたものではなくて、財界主導で持ち込まれたものだということであります。

 たとえば、民主党が「マニフェスト」に「衆院比例代表の定数を80減らす」という政策を掲げたのはいつからかと言いますと、財界の手のひらの上で「政権選択選挙」が演じられた2003年の総選挙であり、それ以来の政策なのです。それは経済同友会の「単純小選挙区制への改革」という「提言」に応えたものでありました。この問題でも、震源地は財界なのであります。

 私たちが容認するわけにはいかない有害な諸問題の一つひとつの真の相手は、財界であります。それだけに、これらの企てを打ち破るには、本腰を入れた国民的闘争が必要となるということを、私は訴えたいと思います(拍手)。そして、それを阻止する「防波堤」としての日本共産党の責任は大きいということを肝に銘じて奮闘する決意を申し上げるものです。(拍手)

「問題点をただす」――克服していく国民的議論を大いに起こそう

 「問題点をただす」という点では、高速道路の無料化、子ども手当などが、当面の大きな課題となります。これらについては、国民のなかで不安が大きい問題であるだけに、私は、その問題点を明らかにしていく国民的議論が大切になってくると考えます。

 たとえば、高速道路の無料化については、税金の使い道の優先順位として正しいのか、環境問題にどういう影響が出てくるのかなどについて、事実と道理にもとづく議論をすすめたいと思います。私たちは、高速道路よりも福祉に優先的に税金を使うべきだという立場であります。(拍手)

 子ども手当については、抱き合わせとして提起されている扶養控除、配偶者控除の廃止は、庶民への増税という問題であるだけでなく、生計費には課税をしないという税金の民主主義の根本にもかかわる問題であります。私たちは、子育て支援への経済的給付を適切なやり方で拡大することには賛成ですが、庶民増税と抱き合わせのやり方には、くみするものではありません(拍手)。これらの問題点とともに、子育てをしながら働ける職場をどうつくるか、待機児童解消のための認可保育園の抜本的充実をどうはかるかなど、総合的な子育て支援をどうすすめるかという視点から、国民的議論をすすめ、わが党の政策を訴えていきたいと考えております。

 民主党中心の政権に、国民が不安を感じている最大の問題は、財源問題にほかなりません。私たちは、選挙中から、この問題の核心は、軍事費と大企業・大資産家を「聖域」とせず、改革のメスを入れるかどうかにある、ここにこそ改革のメスを入れよと訴えてきました。私が、選挙戦を振り返って、たいへん印象深いのは、わが党のこの立場が、決して無理な要求でなく、わが党ならではの道理ある要求として、メディアなどでも受け止められるという場面が何度かあったことであります。

 8月6日夜に出演したBSイレブンでは、私が、わが党の財源論を話したことに対して、報道局長の鈴木哲夫さんが、「そこが(共産党の)最大の個性、非常によくわかりました」と応じたことが印象的でした。

 8月20日の夜に出演したテレビ朝日系「報道ステーション」でも、司会の古舘伊知郎さんが、大企業へのゆきすぎた減税をただし、軍事費を削るというわが党の財源論を、古舘さんの方から説明してくれて(笑い)、「いかにも共産党らしい」として、その具体的な中身を尋ねてきたことは、これも印象深い出来事でした。

 みなさん。日本共産党の財源論が、広く国民の心をとらえる説得力を持っていることに確信をもち、消費税に頼らなくても暮らしを良くする財源をつくれるということを、しっかりと示しながら、消費税増税反対の国民的運動をさらに広げようではありませんか。(大きな拍手)

政治の歪みを大本からただし「国民が主人公」の日本をめざす仕事

 「建設的野党」としての第二の仕事は、日本の政治の歪(ゆが)みを大本からただし、「国民が主人公」の新しい日本をめざす仕事であります。日本の進路にかかわって、民主党中心の政権に問われる二つの大問題があります。

「財界中心」の政治から抜け出せるか――一つひとつの問題で試される

 一つは、「財界中心」の政治から抜け出せるかという問題です。

 公示前日の日本記者クラブ主催の党首討論会で、私は、民主党・鳩山代表に対して、国民の暮らしを守ろうとすれば、どんな問題でも「財界主導」の政治にぶつからざるをえないことを、雇用破壊、社会保障切り捨て、消費税増税などの具体的事実をもとに示し、「自公政権の最も悪い特質の一つである『財界主導』の政治と決別する意思があるかどうか」をただしました。この問いに対して、鳩山代表からは「財界の中にもさまざまな人がいる」というだけで、定かな答えが返ってきませんでした。

 ただ、一方では、財界との矛盾も生まれています。労働者派遣法の改正は、財界からすでに強い抵抗がおこっています。また、民主党は、温室効果ガスの中期削減目標で、「2020年までに25%減(1990年比)」を目標とすると「マニフェスト」に明記しました。9月7日、鳩山代表は、この公約にもとづいて、首相指名後に開かれる国連気候変動サミットで、この中期削減目標を日本の新たな目標として世界に宣言する考えを表明しました。私は、この表明を歓迎するものであります。(拍手)

 この問題について、日本経団連のなかからは「大きな国民負担になる」、「国際公約にしてしまったらおしまいだ」(笑い)という“懸念”の声があがっていましたが、鳩山発言に対しては、財界のなかから「(25%は)産業界から言って、荒唐無稽(むけい)。国益に反することは明々白々だ」との非難の声もあがりました。「25%削減」の具体化と実行には、財界の激しい抵抗とのたたかいが必要となるでしょう。

 新政権には、一つひとつの問題をつうじて、「財界主導」から抜け出せるのか、その根本的な立場が試されることになるでしょう。

 こうした状況のもとで、私たちは、異常な財界・大企業中心の政治を転換して、国民の暮らしと権利を守る「ルールある経済社会」を築くという党綱領の立場にたち、どんな問題でも国民の利益に立った抜本的な対案を掲げ、それを国民とともに実現するために奮闘する決意をのべるものであります。(大きな拍手)

アメリカとどう向き合うか――日本共産党の立場と行動

 二つは、アメリカとどう向き合うかという問題です。

 いま世界は大きく変わりつつあり、変化の波はアメリカにも及びつつあります。そうしたもとで、私たちは、日本共産党の綱領路線の立場――アメリカを複眼でとらえ、前向きに変化した部分はそれを促し、変化しない覇権主義の問題点は、きびしく批判し、その転換を求めるという立場で、世界と日本の平和のために奮闘します。

 核兵器問題でわが党がとった一連の行動は、アメリカの前向きの変化に働きかけたものにほかなりません。私は、4月のチェコ・プラハでのオバマ大統領の「核兵器のない世界を追求する」と宣言した演説について、これを心から歓迎し、核兵器廃絶を主題とした国際交渉を開始することを要請する書簡を送りました。書簡にたいしては、大統領側から心のこもった返書が届けられました。このやりとりは、アメリカが大きな変化のなかにあることを実感させるものとなりました。

 核兵器廃絶の運動は、来年5月3日から開催されるNPT(核不拡散条約)再検討会議にむけて、世界各国から核廃絶の世論と運動をどれだけ広げられるかが、当面する最大の焦点であります。わが党は、被爆国・日本で「核兵器のない世界」を求める世論と運動を広げるために力をつくすとともに、野党外交でもこの問題を最大の主題の一つと位置づけ、ひきつづき奮闘するものであります。

 この点にもかかわって、一つご報告しておきたいことがあります。9月24日から26日まで、中央アジアのカザフスタンの首都アスタナで、第5回アジア政党国際会議が開催されます。この会議には招待に応じて私が参加することになります(大きな拍手)。カザフスタンという国は、旧ソ連の一部だった時代に、東部のセミパラチンスクが核実験場とされ、多くの人々が放射線による深刻な被害にさらされた国であり、この痛苦の経験から、1991年にソ連から独立するとただちに核実験場を閉鎖して、核兵器を自ら放棄した国であります。そうした国で開かれる今回のアジア政党国際会議で、私は、核兵器問題もふくめて世界とアジアの平和のための協力について各国代表と話し合ってきたいと考えております。

 みなさん。世界は大きく変わりつつあります。「核兵器のない世界」をめざして、国内でも、世界でも、ともに手を携(たずさ)えてたたかおうではありませんか。(大きな拍手)

「対等な日米関係」というならば――民主政権に問われる具体的問題

 アメリカとどう向き合うかは、民主党中心の政権に問われる大きな問題であります。民主党の「マニフェスト」では、「対等な日米関係を築く」とうたっています。その立場は、いくつかの具体的問題で問われてくることになります。

 核兵器問題では、日米核密約と「核の傘」をどうするかが問われてきます。

 日米核密約――すなわち、核兵器を積んだ米艦船・航空機が、日本政府との事前協議抜きに、日本国内に自由に出入りができるとした秘密協定の問題は、この選挙の大きな争点となりました。二つの民放テレビの党首討論で、私が、ここに持ってまいりましたが(核密約の写真コピーを示しながら)、わが党がアメリカで入手した核密約の写真コピー――この文書はアメリカ政府が公式に発表したアメリカ政府の公文書です――を示しまして、まず麻生首相に核密約の公開と廃棄を求めましたけれども、私がこれを示しても、首相は、「密約はない」というのです(笑い)。「ないといったって、ここにあるではないですか」(爆笑)。そういっても「ない」といってききません。これは話になりません。(笑い)

 そこで、この問題について、民主党の鳩山代表に対応をただしますと、鳩山代表はつぎのようにのべました。

 「(核密約は)あるという蓋然(がいぜん)性が高い。アメリカに行って事実を調査し、しかるべきタイミングで国民に説明します。(核を持ち込まないと)オバマ大統領を説得し、OKさせるまで頑張ります」

 これは重要な言明であります(拍手)。私は、その実行を強く求めたいと思います(拍手)。また、それを実行するうえで、わが党が持っている資料の提供など、可能な協力は惜しまないつもりであります。(大きな拍手)

 他方で、鳩山代表は党首討論で、「いますぐに『核の傘』から出るべきだということを主張するつもりはない」とものべました。しかし、「核の傘」とは、他の国の核兵器の脅しによって、自らの「安全」を守ろうとする考えであります。「脅しによる安全」という考えなのです。それは、いざというときには核兵器を使用するということを前提にした論理です。使用するということが前提にならなければ脅しになりません。日本は、核兵器の非人道性をどの国よりも体験した国であります。その日本が、核兵器による脅しと、核兵器使用を前提とした考えにしがみつくことがどんなに間違いかは、明らかではないでしょうか(拍手)。「核抑止」「核の傘」論は、核拡散にとっても最大の元凶です。なぜなら、核で脅された国は、同じ論理で核を持とうとするからであります。

 かつて米ソ対決時代には、世界のかなりの国々が、「核の傘」で覆われていましたが、世界の軍事同盟の解体・縮小とともに、今日では「核の傘」のもとにある国は国連加盟国192カ国のうち、ごく一部にまで縮小しております。世界の大多数の国が、「物騒な『傘』はたたもう」という時に、被爆国・日本が「たたまないでくれ」と求めるのは、これは核兵器廃絶への逆行だということを、率直に指摘しなければなりません。(拍手)

 日本は、核密約を公開、廃棄し、「核の傘」から離脱して、名実ともに「非核の日本」となるべきであり、そうしてこそ、被爆国として地球的規模での核兵器廃絶の先頭に立つことができる。私は、このことを強く訴えたいと思うのであります。(大きな拍手)

 米軍基地問題をどうするかも、新政権に問われる重大な問題です。民放テレビの党首討論で鳩山代表は、沖縄の普天間基地について、「県外移設、国外移設が望ましい」と言明しました。そこで私は、米軍基地の「県内たらい回し」を決めた1996年の「SACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意」の路線を白紙にすることを求めましたが、鳩山代表からは定かな答えは返ってきませんでした。私は、普天間基地について、「県外移設」、「国外移設」というならば、県内での「基地たらい回し」の日米合意を見直し、それとは決別することが必要だということを提起しておきたいと思います。(拍手)

 さらに、自衛隊の海外派兵をどうするかも、新政権に問われてきます。米軍などのアフガニスタン戦争を支援する自衛隊派兵について、鳩山代表は、「インド洋への自衛隊派遣は来年1月以降延長しない」と言明してきました。わが党は即時撤退を求めますが、延長しないという公約が守れるか、これが問われてきます。わが党はどんな形にせよ、アフガニスタンへの軍事的関与を中止することを強く求めるものであります。(大きな拍手)

 民主党の対外政策がかかえるこうした一連の矛盾と問題点の根源には、「日米(軍事)同盟を基軸とする」という立場があります。この立場と、「対等な日米関係」という言明が両立するでしょうか。この間には根本的な矛盾が存在します。そのことを私は率直に指摘したいと思うのであります。

 日本共産党の綱領の立場は明りょうであります。憲法9条を生かした平和外交によって、世界とアジアの平和的環境を築きながら、日米安保条約解消の国民的合意をつくるために奮闘するという立場であります。この立場でこそ、世界とアジアの平和に貢献できる日本がつくれます。そしてアメリカとの関係でも、この道に立ってこそ、対等の立場での友好協力を保障し、世界の利益に貢献しうる日米関係をつくり上げることができます。これが私たちの確信であります。(拍手)

歴史の開拓者の党――日本共産党の出番の時代がやってきた

 みなさん。新しい政治状況のもとで、この二つの仕事――国民の利益に立って新政権に働きかけ現実政治を動かす仕事、日本の政治の歪みを大本からただす仕事にとりくめる政党は、日本共産党をおいてほかにありません。(大きな拍手)

 自公政権を退場させたあと、さらに日本の政治を前に進めることができるかどうか。日本の未来は、私たちの奮闘にかかっています。私たちは、新しい情勢のもとで、「建設的野党」としての新しい挑戦、新しい探求、新しい仕事に意気高くとりくむ決意を表明するものであります。(大きな拍手)

 国民の力で拓(ひら)いた自公政権の終焉(しゅうえん)という政治局面を、国民の力でさらに前にすすめる胸おどる新しい歴史が始まりました。歴史の開拓者の党、日本共産党の出番の時代がやってまいりました。(「そうだ」の声、大きな拍手)

 みなさん。みんなの力で勝ち取った総選挙での成果をしっかりと踏まえて、新しい日本への探求の流れを国民とともにさらに発展させ、21世紀の早い時期に「国民が主人公」の政権――民主連合政府をつくるという大目標の実現を目指そうではありませんか。(「よーし」の声、大きな拍手)

むすびに――国民の「SOS」を受け止める政党、日本共産党への入党を訴える

 きょうは、歴史の大局で私たちの到達点を踏みしめ、日本の未来をご一緒に考えてきました。

 私があらためて痛感するのは、私たちが日本の針路を見通す確固とした羅針盤――党綱領を持っていることが、どんな激動と波乱のもとでも、私たちが道を迷わず、立っている地点を正確に見定め、行く手を明らかにする力となっているということであります。

 同時に、私が痛感するのは、党綱領という同じ志をもって、全国で40万余の党員のみなさん、2万2千余の党支部が草の根でがんばっていることのかけがえのない力であります。私は選挙前に、あるジャーナリストから次のことをいわれました。

 「日本共産党というのは、本当に苦しんでいる人々の『SOS』を受け止めてくれる唯一の政党です。この仕事は他の政党ではできません。やっているのは、政党では日本共産党だけです」(拍手)

 たしかにその通りではないでしょうか。(拍手)

 「派遣切り」で路上に放り出され、途方にくれている労働者。ダブルワーク、トリプルワークで、わが身を削りながら懸命に子育てをしている母子家庭のお母さん。「限界集落」といわれる山あいの集落で、先祖代々の農業が続けられなくなり、無念の思いでがんばっている高齢者。高すぎる学費で、かけがえのない友達が中途退学を余儀なくされ、心を深く痛めている若者たち。本当に苦しんでいる人々の「SOS」を受け止め、その悩みに心を寄せ、耳を澄まして聞き、ともに苦難軽減のために力をつくす、そうした立場で草の根でがんばっている同志たちを、全国津々浦々にもっていることこそ、私たちが最大の誇りとするところであります。(大きな拍手)

 この話を終えるにあたって、私は心から訴えたいと思います。それは、きょうの私の話を共感をもって聞いてくださった方は、どうか日本共産党に入党していただきたいということであります(拍手)。この党と歩む人生こそ、本当に生きがいのある人生です。これは私自身の実感であり、この選挙をともにたたかったベテランの同志、若い同志、新しい同志、全国の同志みんなの実感でもあると思います。私たちとともに、日本の社会進歩の事業をともにすすめようではありませんか。

 みなさん。国民のたたかいこそ、歴史をすすめる力です。党をつくって87年、一筋に歴史の開拓者の党として奮闘してきた日本共産党を強く大きくしようではありませんか。(歓声、大きな拍手)

 日本共産党創立87周年万歳(「万歳」の声、歓声と大きな拍手)。ご清聴ありがとうございました。(歓声、割れるような拍手)


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