2009年3月31日(火)「しんぶん赤旗」

主張

「日の丸・君が代」処分

教育は命令では達成できない


 「日の丸・君が代」をめぐり、ことしも各地で教職員を処分で脅した異常な強制がおこなわれていますが、東京地裁は二十六日、東京都で異常な強制をもたらしている都教委の「10・23通達」(二〇〇三年)について、違憲・違法ではないという判決を下しました。同通達を違憲・違法とした〇六年の「予防訴訟」地裁判決にも反するもので、核心部分での判断は首をかしげざるを得ないものです。

強制で心身がさいなまれ

 第一は、「日の丸・君が代」強制が「思想・良心の自由」を侵犯しないとしたことです。法廷では多くの教職員が、強制で心身がさいなまれた体験を証言しました。

 日本史の先生は、信念に反して立って歌うかどうか、悩みぬいたといいます。食事がのどを通らず、寝つけない。やっと寝ても全身びっしょりの汗をかいて起きたり、寝ながら叫んだり―。突然心臓のどうきが激しくなり呼吸が苦しくなることもあったといいます。

 クリスチャンの先生は明治憲法下で「教育勅語」への敬礼強制をうけた内村鑑三を想起し踏み絵の恐怖を感じたといいます。体調を崩し一年近く難聴に苦しみます。

 こうなった人が存在する事実の重みははかりしれません。憲法が万人に保障している「思想・良心の自由」(第一九条)を侵犯しています。最大限まもられなければならない自由の侵犯がやむをえないというならそれに足るだけの事由が示されなければなりません。

 ところが裁判官は“一般的に不起立等と信条とは結びつかない”などとのべるだけで侵犯の事実さえ認めませんでした。実際に踏み絵を感じ、恐怖と苦痛を味わったという人が目の前にいるにもかかわらずです。法の番人がこうでは、国民は安心してくらせません。

 卒業式や入学式の式次第をこと細かく指示した通達により、教育の自主性がいちじるしく奪われたことについてもそうです。

 卒業式は最後の授業―三年間自分たちがどう過ごし、どう成長し、どんなふうに変わったのかを見てほしい。生徒の思いと誇り、それが生みだす厳粛さがかつての式にはありました。しかし通達で事態は一変します。「日の丸」に正対するため対面方式は禁止です。生徒がつくったドレスなどの作品を壇上にあげることも禁止されました。校長は「上から来たままやるしかない」と唇をかみます。

 裁判官は、当時は司会者が起立を発声しない学校があり、通達の目的には合理性があったから、通達は「教育への不当な支配」とは言えないとしました。しかし問題は通達の「目的」ではなく、通達がひきおこした「結果」です。通達以降の卒業式では、現行法で最終的な決定権があるとされる校長の権限すら否定されています。今年は卒業式のせりふまでいちいち都教委にチェックされました。かつての感動的な式を知る保護者からため息がもれました。

新たな処分を許さず

 国旗国歌の強制はおかしい。教育は命令ではできない。国民の合意はそこにあります。原告団は「怒りを希望に」と、控訴してたたかうことをきめました。

 強制に従わないことを理由にした新たな処分など、絶対認められません。生徒や保護者、教職員の希望がかなう日がくることを、心から願うものです。



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