2009年2月19日(木)「しんぶん赤旗」

中川財務相辞任

首相、この責任どうする

任命・擁護・国会混乱…


 戦後初めてとなった本予算審議中の財務相(かつては蔵相)辞任。「百年に一度の経済危機」というさなかに、前例のない異常事態をつくりだした任命権者、麻生太郎首相の責任を問う声が内外で強まっています。


 中川昭一氏の十七日の辞任はまさにドタバタ劇。午前中にあくまで続投する考えを示した同氏は、昼には衆院で二〇〇九年度予算案が通過した後に辞任すると表明したものの、それから数時間後の夜には辞表提出に追い込まれました。

 迷走の裏には、中川氏をかばう態度を変えなかった麻生太郎首相の姿勢があります(表参照)。十七日の辞表提出後も、会見で、「大変厳しい決断をご自分でされた」と持ち上げ、中川氏も「(今後も)麻生総理を私なりに支えていきたい」とのべ、双方が「盟友」関係は不変だとアピールしました。

 首相と中川氏は、「靖国派」の総本山、日本会議と連携する「国会議員懇談会」の元会長と会長代行という関係。〇六年十月、自民党政調会長だった中川氏が核兵器保有の議論を「大いにしないと」と発言すると、すかさずその三日後、当時外相だった麻生氏は「議論をしておくのも大事なこと」と擁護しました。

 過去二回の自民党総裁選で、中川氏は麻生氏の推薦人に名を連ね、「危機を成長に、夢の実現に変えていく、その力を麻生太郎に与えてください」(〇七年九月)などと街頭でも声を張り上げました。昨年九月の財務・金融相任命はその「論功行賞」というべきものでした。

 今回の事態は、世界に醜態をさらしたことに加え、十七日の衆院予算委員会の午前の一般質疑が中止となり、午後の集中審議は与党だけで強行されるなど大きな混乱も生じさせました。

 これらは、中川氏が酒を飲んだかどうかということをはるかに超える重大問題です。苦境にあえぐ国民生活や、国際的な信用の上に個人的な感情を置き、同氏をかばいつづけてはばからない麻生首相自身の責任、資質が問われる事態です。


中川財務相をかばい続けた麻生首相

14日夜 中川昭一財務相 7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後に「酩酊(めいてい)」状態で会見。

16日 麻生太郎首相 中川財務相の続投を指示。「体調をしっかり管理し、風邪を治して職務に精励してほしい」

17日午前 中川財務相 閣議後の記者会見で「与えられた仕事を一生懸命やっていく」

同昼 中川財務相 2009年度予算案・関連法案の衆院通過後に辞任する意向を表明。「首相からは、当面の懸案事項に全力で取り組めと指示を受けた」

同夜 中川財務相 予算案の衆院通過を待たず辞任を表明。「首相からは『5カ月間よくやった』『体調を万全にして引き続き頑張ってもらいたい』という言葉をいただいた」
    麻生首相 「大変厳しい決断をご自分でされたので、その意思を尊重したい」「(辞表をもとめたことは)ありません」


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