2008年12月6日(土)「しんぶん赤旗」

戦後まもなく築地本願寺で開かれた「戦争懺悔の会」とは?


 〈問い〉 日本国憲法が施行された2日後に東京の築地本願寺で、宗教団体が一堂に会して戦争懺悔(ざんげ)の会がひらかれ、神社本庁も参加したと聞きました。だれのよびかけでこれが実現したのか、その中身はどんなものだったのかを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉 日本国憲法施行2日後の1947年5月5日から3日間、全日本宗教平和会議が東京・築地本願寺でひらかれ、「われらはかかる凄惨(せいさん)なる戦争の勃発(ぼっぱつ)する以前に、身命をとしても、平和護持の運動を起し、宗教の本領発揮に務むべきであった」と懺悔し、「新憲法は世界に向って戦争放棄を誓約したが、この人類史上類いなき崇高なる理想の実現は、人間精神の改造による宗教的基礎に立ちてのみ可能なのである」と表明しました。

 この会議は、戦中に全宗教団体を強制的にまとめた大日本戦時宗教報国会が、戦後いち早く改称した日本宗教連盟を主に、仏教連合会、神道教派連合会、キリスト教連合会、神社本庁などの共催でひらかれ、宗教学者の姉崎正治氏が議長をつとめました。

 「懺悔の表明」は憲法9条を宗教的立場から意義づけています。しかし同時に、この会議が採択した「戦争否認に関する決議」のなかで、「聖徳太子の以和為貴(和をもって貴しとなす)は日本民族の伝統による大和精神の表現であり、神道は惟神(かむながら)の道(神にすべてをゆだねる生き方)として戦争を否認し」と述べるなど、懺悔の不徹底さをも示しました。この会議以後、日本の反動化のなかで宗教界は全体としては沈黙し、憲法擁護や原子兵器禁止などの主張は良心的宗教者の運動によって担われることになります。

 宗教者平和運動が発展をとげるのは、戦前戦後の宗教者平和運動を引き継いで、1962年に結成された日本宗教者平和協議会などの活動が本格化してからになります。以後、半世紀が過ぎた今日では、侵略戦争に加担した懺悔にたって、平和の声をあげる伝統宗教団体が少なくありません。

 神国思想と天皇崇拝を国民に強要した国家神道が解体されてから50日後に結成された神社本庁も、その時点では、この会議の共催団体となっています。しかし、神社本庁指導部はその後、靖国神社への首相の公式参拝や国家神道復活に道をひらく改憲運動推進の役割を果たしています。(平)

 〈参考〉日本宗教者平和協議会編『宗教者の戦争責任懺悔・告白資料集』(宗平協ブックレット)、中濃教篤『現代に生きる仏教』(白石書店)

 〔2008・12・6(土)〕


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