2008年11月2日(日)「しんぶん赤旗」
「第五福竜丸」伝える
東京・夢の島公園で交流
![]() (写真)「福竜丸で学び伝える」で話し合う人たち=1日、都内 |
「福竜丸で学び伝える 報告と交流」が一日、東京都江東区の夢の島公園内の第五福竜丸展示館で開かれました。第五福竜丸の保存が呼びかけられて四十年を記念して開かれている企画展「原爆ドームと第五福竜丸 市民が守った平和遺産」の一環のイベントです。
最初にビデオで第五福竜丸の被ばくを劇にしたり、調査学習をしている小中学校の活動が紹介されました。
三人の教員が教育実践を報告。元乗組員の大石又七さん(74)と一緒に第五福竜丸の模型船を作った経験、中学の授業で大石さんの話を聞き感銘を受け、今は教師として自分の教え子に、話してもらっていることなどが紹介されました。
参加していた大石さんがうながされ、発言。「最初は福竜丸の騒ぎが収まるまで隠れていようと思っていましたが、今は逃れることはできないと思っています。みんなが苦しまない世の中にしたい」と語ると拍手が起こりました。
明治学院大学の男子学生(21)は「核兵器をなくすことは一人ひとりが関与できることだと感じました。先月、イギリス大使館に核兵器更新中止を求める手紙をゼミの名前で出しました。日本の核問題でもいろいろやってみたい」と話しました。
第五福竜丸 アメリカが1954年3月1日、太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で、乗組員23人全員が被ばく、半年後に無線長の久保山愛吉さんが放射能症による肝臓障害で死亡しました。これを機に反核・平和運動は大きな盛り上がりを見せました。


