2008年9月30日(火)「しんぶん赤旗」

麻生首相所信表明をきいて

真の楽観主義とはなにか


 「日本は、明るく、強くあれ」「子どもたちの未来に夢を」「私は悲観しない」「責任と実行力ある政治を行うことを、国民の皆様に誓う」…

 二十九日の所信表明演説で臆面(おくめん)もなく「楽観論」をふりまく麻生太郎首相の姿を見ていて、ある既視感に襲われました。

「美名」の末路は

 一昨年の九月。就任早々の安倍晋三元首相も同じ壇上から「美しい国、日本」「活力に満ちた国」と叫び、貧困にあえぐ国民にたいし、バラ色の未来を描きました。

 しかし、「美名」のスローガンの末路は哀れでした。安倍氏は、戦後民主主義の否定と改憲への道を突き進んだ結果、就任からわずか一年で政権を投げ出したのです。

 今回、麻生首相は、「暮らしの不安」に言及しました。いわく、「国民の暮らしから不安を取り除き、強く、明るい日本を」と。しかし、そこには、なぜ国民が未曽有の不安を抱くにいたったかの認識はまったく示されませんでした。まるで不安が自然現象で生まれたかのようです。そこから出された対策に、まったく具体性がないのは当然でした。

 多くの働く若者がモノのように使い捨てにされ、未来を奪われる日本。戦争と復興の時代を必死に生き抜いたお年寄りが、七十五歳の年齢を重ねただけで、社会から「隔離」されたかのような屈辱を強いられる日本。米国にいわれるまま、憲法をふみにじり自衛隊を海外派兵し、戦争に加担する日本。この深刻な現実に正面から向き合う姿勢があれば、安易な楽観主義など生まれようがありません。

 自公政治がつくりだした「構造改革」路線による貧困にあえぐ国民が、その責任にまるで人ごとのような演説を聞いて何を感じるでしょう。麻生首相は、そのことに対する最低限の想像力さえ持ち合わせていないのではないか。そう思わざるを得ません。

 首相が首相なら、それを取り巻く与党も与党でした。麻生首相の演説に対し、与党席からは随所で盛んな拍手と歓声が起こりました。

 自らの政治悪に対する自覚も反省もなく開き直る。その姿勢が与党全体を覆っていることに、自民党政治の退廃の極みを見た思いがしました。

解決方向の展望

 真の楽観主義とは、目の前にある困難に真摯(しんし)に向き合い、問題の根源に迫り、徹底して分析し、そのうえで解決の方向を展望することによってのみ、生まれてくるのではないか。大企業中心、アメリカいいなりという「二つの政治悪」に正面から立ち向かう日本共産党の改革論の展望こそ、真の楽観主義を生み出すのではないか―。その思いを強くしました。(小泉大介)


「御名御璽」と「臣茂」

 「国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽(ぎょめいぎょじ)をいただき、第九十二代内閣総理大臣に就任いたしました」。麻生太郎首相の初の所信表明演説は、この時代錯誤の一言ではじまりました。

 「かしこくも」とは「恐れ多くも」というへりくだった言い方、「御名御璽」とは公文書に記される天皇の署名と公印のことです。主権在民の憲法のもとでは、形式的な意味しかもちません。

 麻生首相は、国権の最高機関による指名と「御名御璽」を同列において、あたかも天皇による任命であるかのようにいったのです。天皇が首相の任免権までもった明治憲法下のような感覚です。

 続けて「百十八年になんなんとする、憲政の大河」「新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとって続けてきた統治の伝統」などと演説した首相。天皇絶対の時代と現代の区別がまったくつかないようです。

 首相の祖父・吉田茂首相は一九五二年、現天皇の立太子礼(皇太子就任の式)の際、「臣茂」と書いて激しい批判をあびました。主権在民をわきまえないで、いつまで天皇の臣下でいるのかと。麻生首相は、その祖父の感覚のままなのか。

 そういえば、国連憲章にもとづく平和の秩序が求められている時代に、「日米同盟の強化」を「常に第一」とし、国連との「優先劣後」を明確にした国際感覚も、軍事同盟全盛だった祖父の時代そのままかと思わせます。(藤)


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