2008年8月14日(木)「しんぶん赤旗」
北京発 鼓動
太田が銀
フェンシング 史上初メダル
新たな歴史刻む
【北京=五輪取材団】北京五輪第6日の十三日は、フェンシングの男子フルーレ個人などが行われ、太田雄貴選手が銀メダルを獲得し、この競技で日本に初めてのメダルをもたらしました。太田選手は準々決勝でドイツの強豪選手を、準決勝ではイタリアのアテネ五輪銀メダリストを、接戦の末破りました。決勝はドイツのベンヤミン・クライブリンク選手に9―15で敗れました。
柔道女子70キロ級は、上野雅恵選手がキューバのアナイシス・エルナンデス選手から46秒で一本を奪って連覇を達成しました。男子90キロ級の泉浩選手は2回戦で敗れました。
競泳男子二百メートルバタフライ決勝で松田丈志選手が1分52秒97の日本新記録で銅メダルを獲得しました。同種目は米国のマイケル・フェルプス選手が1分52秒03の世界新記録で優勝、八百メートルリレーでも米国が勝ち、今大会5個目の金メダルを得ました。
卓球の男女団体と野球の一次リーグが始まり、卓球は男女とも3―0で初戦を飾り、野球はアテネ五輪金メダルのキューバと対戦しました。
世界一といわれる剣の速さで、太田が歴史に名を刻む快挙を成し遂げました。
世界チャンピオンのヨピッヒ(ドイツ)、アテネ五輪銀メダリストのサンツォ(イタリア)を連破して決勝に進出。最後は、これまで勝ったことのないという、クライブリンクのうまさの前に敗れましたが、果敢な攻撃で会場をわかせました。
一八九六年の第一回アテネ五輪から正式競技のフェンシング。欧州を中心に広まった伝統あるスポーツですが、日本人選手には厚い壁でした。
それを打ち破れたのは、速攻と剣筋の読みの確かさ。本人も「他人よりよく見える」と自負しているように、一瞬の攻防のなかで発揮するその能力は試合を優位に進めました。
日本勢過去最高の九位に入った前回のアテネ五輪後、日本協会の支援を受けて欧州遠征を重ね、強豪との対戦で腕を磨きました。
太田がフェンシングを始めたのは小学三年生のとき。競技者だった父に教えられ、十七歳で史上最年少の日本チャンピオンに。父にいわれた「継続は力」を胸に、休まず練習を積んできました。
「北京では正々堂々と剣士の誇りをもってたたかう」と話していた太田。二十二歳の物おじしない、さわやかな挑戦が「夢の舞台」で、日本のスポーツ史に新たなページを記しました。(代田幸弘)
フルーレ フェンシングの基本的種目で、最も競技人口が多い。細長い「ピスト」と呼ばれるエリア内で争われ、攻撃は突きだけ。相手の有効面(頭、両足、両腕を除いた胴体部分すべて)を突くとポイントが得られます。先に15ポイントを奪うか、時間内に多くのポイントを取った方が勝ちます。その他の種目にはエペ(有効面・全身)、サーブル(同・上半身)があります。

