2008年6月14日(土)「しんぶん赤旗」

四川大地震 1割犠牲の県

畑がなければ生きられない

農民、村に帰る


 【北川チャン族自治県(四川省)=山田俊英】四川大地震を引き起こした断層が走る北川チャン族自治県では人口16万人の約1割が犠牲になりました。全体が水没してしまった村があり、再建は困難を極めるとみられます。その一方、都市部の避難所を出て自分の村に戻る農民もいます。


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(写真)廃虚となった村で食事する劉雪梅さん(左)一家=10日、北川チャン族自治県任家坪(山田俊英撮影)

 地震から一カ月たつ今も、県中心部には倒壊した家屋の下に多くの遺体が埋まっており、この区域は伝染病予防のため立ち入りが厳重に禁止されています。通行止めのゲート前の部落、任家坪で十人ほどの住民ががれきを片付けていました。

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 劉紅さん(38)は「ここで二人、あそこで一人、下敷きになって亡くなりました」とがれきを指さします。「綿陽市の避難所にいましたが、家畜が気になって戻ってきました。幸い豚も牛も無事でした。畑もあるし、住み慣れたここに住み続けたい」といいます。

 いまはプレハブの仮設住宅に住んでいます。電気はありません。水は一日に一回来る給水車が頼りです。周囲は標高千メートル級の山。地震のため尾根からナイフでそいだような大きな崩落があちらこちらにできました。

 仮設住宅の前で一家で昼食をとっていた劉雪梅さん(41)も「私には自分の畑があります。よそに移っても何もできません」といいます。

 一緒に食べていためいの劉洋さん(13)は、地震で倒壊した北川中学校の二階にいました。激しい揺れで一階がつぶれ、二階が一階になってしまったといいます。「早くしろ」という声で窓から飛び降り、助かりました。北川中学校では全校生徒、教職員約三千人のうち千人以上が犠牲になりました。

 弟の清雲君(9っ)は千キロ以上離れた山東省青島市の小学校へ転校し、家族と別れて寮で暮らします。地元の小学校に多くの被災者の子どもを受け入れる能力がなく、青島市が受け入れを決めたためです。

 北川県は隣の安県に臨時県庁を開設し、再建の方針を検討しています。北川県では山の崩落で川の水位が上がり、ただでさえ狭い平地がさらに少なくなりました。仮設住宅の建設用地に畑をあてなければならなかった部落もあります。

 北川県そのものを安県の空き地に移転し、県庁や公共施設、住民をそっくり移す案も出ています。しかし、農地がなければ生きられない農民をどうするか。難しい判断を迫られています。


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