2008年4月10日(木)「しんぶん赤旗」

反戦の元海軍大佐、水野広徳とは?


 〈問い〉 反戦の元海軍大佐、水野広徳とは? 関連する文献を教えてください。(宮城・一読者)

 〈答え〉 水野広徳(ひろのり)は1875年(明治8年)、現在の愛媛県松山市三津で生まれ、日露戦争で水雷艇艇長として日本海海戦に参加した軍人で、体験をまとめた戦記『此一戦』は当時ベストセラーとなりました。しかし、47歳のとき海軍大佐の職を捨て、以後は軍事・社会評論家として、『中央公論』『改造』などで軍縮の論陣をはり続け、戦時下には執筆禁止の状況に追い込まれながら、屈せず反骨の生涯を貫きました。

 軍国主義者から平和主義者への水野の転機は、第1次世界大戦時のヨーロッパ視察で、ドイツ軍だけで50万人の死者を出したフランス・ベルダンの戦跡や、失業者であふれる敗戦国ドイツの惨状をみたことでした。近代戦の「残忍なる殺戮(さつりく)」や「戦争の害毒、軍備の危険、軍国主義の亡国」を実感した水野は、以後、「我国は列国に率先して軍備の撤廃を世界に向かって提唱すべきである。これが日本の生きる最も安全策であると信ずる」と、日本国憲法の系譜に連なる徹底した反戦・軍縮論を主張しました。

 植民地の民族運動の高揚にも注目し、中国との対等な条約(治外法権の撤廃、関税自主権の回復)を主張、「真の世界平和の為には…根本は『被征服』民族の解放である」としました。

 水野の論でとくに注目されるのは、卓抜した軍事分析です。艦隊(戦艦)中心主義の当時にあって、将来の海上戦闘は航空機と潜水艦が主力になると予見。23年には米国を仮想敵国とした軍部の「新国防方針」にたいし、日米戦争の詳細な分析を基礎に日本の敗北以外にないと日米非戦論を展開しました。

 32年発行後すぐに発売禁止となった仮想戦記『興亡の此一戦』は、「満州国」の建設が中国あげての対日抵抗を招き日米戦争に発展するというシナリオで、中国戦線での泥沼化、米機動部隊による都市空襲、残存海軍兵力をあげての米艦隊主力との決戦など、その後の展開を洞察していました。

 「軍部大臣武官制」や「帷幄(いあく)上奏権」が軍部の暴走を招くとも早くから批判していました。さらに水野は、世界的な社会主義勢力の前進に着目し自らの軍縮論と結ぶ試みをし、憲兵や特高の監視下、33年8月の「極東平和友の会」創立総会では発起人の一人として講演しています。敗戦後は戦争責任者の厳罰は当然とし、天皇神格化を否定しました。45年10月、71歳で死去しました。(喜)

 〈参考〉『水野広徳著作集』全8巻、雄山閣、曾我部泰三郎『二十世紀の平和論者・水野広徳海軍大佐』元就出版社、河田宏『第一次大戦と水野広徳』三一書房、前坂俊之『海軍大佐の反戦、水野広徳』雄山閣

 〔2008・4・10(木)〕


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