2008年3月7日(金)「しんぶん赤旗」

若狭湾でも「殿様顔」

漁師「海自は怖い」

「あたご」の母港 京都・舞鶴


 「漁師は『板子一枚下は地獄』というが、自衛艦はそれどころじゃない。戦闘態勢と一緒。スピードを緩めたりする気なんてまったくない。わが物顔で走っている」―。千葉県沖で漁船に衝突した海上自衛隊のイージス艦「あたご」の母港が、海自舞鶴基地(京都府舞鶴市)です。その近辺では、自衛艦が演習のため若狭湾内を頻繁に出入りし、漁場の湾内でも事故がたびたび起きています。現場の漁師から怒りの声を聞きました。(松田大地)


写真

 漁船「長光丸」(一五トン)の船長だった長崎忠雄さん(80)=舞鶴市東吉原=は、「あってはならんことが、また起きた」と沈痛な表情を浮かべます。十年前、日米共同演習中の海自舞鶴地方隊所属の掃海艇「えたじま」(四四〇トン)との衝突事故に遭いました。一九九七年十一月七日の早朝、伊根町の鷲埼灯台沖南東約二キロの海上で、四人の船員とともに漁を終え、水揚げする帰港中のことでした。

突然に

 「目の前に迫る大きな黒い壁」に、長光丸は逃げる間もなく衝突し、船首が損傷。浸水をくみ上げるポンプを三台使ってなんとか帰港しました。

 「海には道はなくともルールがある。お互いが気をつけなくてはいけないが、(「えたじま」は十分前には)目視やレーダーで確認していたんだから、もっと早くスピードを落としてくれればよかった。それに漁をしている近海で(演習は)しないでほしい。商船なら沿岸から幅をとって通る。自衛艦はまるで殿様顔だ」と、静かな語り口ですが怒りをにじませます。

 宮津市内の漁師歴五十年以上のある男性(72)は、三度も衝突寸前の接近を経験。「まさに、“そこのけそこのけ自衛艦が通る”だ」と語気を強めます。

 一九九五年ごろの霧深い冬の未明。男性は、イワシを保冷庫に満載した漁船に乗り、舞鶴港をめざしていました。舞鶴湾内にある戸島(としま)にさしかかる直前、真っ暗ななかから自衛艦が「いきなり」出現。「目の前にそびえる」自衛艦を「間一髪」で切り抜けるも、戸島の砂浜に乗り上げてしまいました。

許せん

 「予想もつかないほど速い。いまでも恐怖感が残っていて、腹が立つ。相手の船を右側に見たら、(回避義務があるため)スピードを緩めたりするのは、いろはの“い”。なのに全然落とさない」と、自衛艦の対応を批判します。漁師の間では、自衛艦の灯火が最低限のもので、夜間や霧のときに確認しづらいことに不満が集まっています。

 海自輸送艦「のと」がマンション群の明かりを灯台と間違え、沿岸から約二キロにある漁協の定置網に乗り上げ、漁協が約一億円もかけた装置が壊されたことも。男性は、復旧のため一カ月間漁を休む羽目になりましたが、自衛隊は、男性個人には労賃として五万円渡しただけでした。

 これまで男性は自民党を支持してきたといいますが、「許せん。(イージス艦の今回の事故と)まったく同じケースを経験した。信用せんわ。二十何年前から体質はひとつも改まっていない。いまの自民党は軍国主義だ」と批判します。

“自衛隊は生活を脅かす”

 事故後の自衛隊の対応に憤りをあらわにするのは、舞鶴市内の漁師の男性(49)です。〇六年二月の夜、「あたご」と同じ海自第3護衛隊群に所属する護衛艦「はまゆき」が、沿岸から約六百メートル離れた定置網に接触。網のロープを切断しました。三月三日、ベトナムのサイゴン港で貨物船と接触事故をおこしたのが、この「はまゆき」です。

 男性は、サワラや、カマス漁の最盛期に、網の回収や修理に約一カ月を費やし、「指をくわえて」待たざるをえませんでした。計千三百万円の物損補償は同年十二月に決着したものの、水揚げ高の補償額については、自衛隊側の提示が二転三転します。自衛隊側は、補償額の約九分の一の金額で妥協するよう要求し、現在も交渉中です。

 この漁師はいいます。「今回の事故でも(防衛省は)情報を隠ぺいしているが、ウチと一緒やないか。何を聞いても説明しない隠ぺい体質。不信感大ですわ。自衛隊は、一般庶民の生命と財産を守ってはくれない。むしろ生活を脅かしている」



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