2008年1月21日(月)「しんぶん赤旗」

「水際・硫黄島作戦」

生活保護拒み1年半

夫妻が提訴「苦しむ人 救って」

埼玉三郷市


 夫の突然の病気で収入が途絶え、最後の命綱としてすがった妻の生活保護の申請を受け付けなかった埼玉県三郷市。夫妻は生活保護制度の意義を問い、市を相手に裁判を起こしました。第二回口頭弁論が二十三日、さいたま地裁で開かれます。


 三郷市に住んでいた四十代のトラック運転手のAさんは二〇〇四年末、白血病を発病し入院しました。専業主婦の妻Bさんは、毎日の介護疲れと夫を失う不安で精神科に通院するようになります。収入は派遣で働く息子の月約十万円だけに。

 Bさんは〇五年一月から市役所福祉課に数回足を運び、夫の病状を説明して生活保護を受けたいといいました。しかし、市は就労や親族の援助を理由に「相談」にとどめました。

 治療費や家賃、光熱水費、子どもの給食費も払えず借金が数百万円にのぼりました。この間も市は生活保護の申請書を渡しません。絶望したBさんは「みんなで死のう」と、子どもたちに心中を持ちかけます。娘に「そんなことしたらお父さんの世話を誰がするの」といわれて、思いとどまりました。

10回目で受理

 Bさんの相談を受けた埼玉弁護士会の吉広慶子弁護士が福祉課に同行して、申請書の提出がかない〇六年六月から保護が始まりました。最初の市役所訪問から十回目。一年半がたっていました。

 生活保護の申請を、あれこれの理由をつけて受け付けない「水際作戦」が全国で横行しています。市は「水際」でBさんに保護を受けさせなかった上、市外に転出させる「硫黄島作戦」に出ました。保護開始の翌月に担当者は、Aさんの実家のある東京都内に引っ越すよう指示しました。Bさんがアパートを探すと「今後生活に困っても転居先で生活保護の申請に行かないでください」(原告陳述から)として保護を打ち切ったのです。

 もう生活保護を受けてはいけないと思ったBさんですが、病院の相談員や弁護士に強く勧められて転居先で申請すると、一回で保護が決まりました。

 昨年十月の第一回口頭弁論でBさんは涙ながらに「役所の方々が、苦しむ人に救いの手を差し伸べる優しさを取り戻してほしい。私たちと同じようなつらい目に遭わせないでください」と、裁判の原告になることを決意した思いを訴えました。

 十二月には、闘病中の夫のAさんの入院先で出張尋問が行われました。点滴をつけたまま熱でもうろうとなりながらも、Aさんは「保護担当者は相談にきた人の話をきちんと聞いて対応してほしい」と声を振り絞りました。

改悪に抗して

 生活保護を受ける資格のある生活水準の人が実際に保護を受けている割合(捕捉率)はEU諸国で七―八割ですが、日本は一―二割にとどまっています。貧困と格差が広がるなか多くの人が生活保護制度から排除されているのです。老齢加算や母子加算の削減・廃止、保護基準切り下げを狙うなど生活保護抑制の国の攻撃も強まっています。

 人口千人当たりの被保護者の割合を示す保護率(‰=パーミル)は埼玉県が〇五年7・2から〇六年7・5に増えましたが、三郷市は7・4から6・9と低下しました。

 老齢加算や母子加算削減・廃止の違憲性を争う生存権裁判が、全国九都道府県でたたかわれています。〇六年九月、自立のめどが立ったといえないのに、本人の意思に反し辞退届を強要したことをめぐる裁判の勝訴判決が広島高裁で確定しました。三郷では昨年十二月、生活保護裁判を支援する会が発足し、賛同する会員も増えています。

 「Aさん夫妻の提訴に励まされた」と語るのは市内の障害者施設で相談支援を担当している女性。「市は財政難を理由に福祉予算を毎年削る動きがあり、保護率の引き下げが現場担当者の申請拒否につながっているのでは。国が生活保護制度までゆがめようとするなか、生存権を守るためのこの裁判の意義は大きい。地域で安心して暮らせるよう支援の輪を広げたい」と話します。


 「硫黄島作戦」 旧日本軍が米軍を硫黄島に上陸させた上で迎撃を図った作戦にちなみ、生活保護を決定してから辞退届を出させたり転居させて保護を打ち切ること。



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