2008年1月14日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

漁民の森

つながる 森・川・海


 森・川・海のつながりで生態系を考える見方と運動が広がっています。人が生活する里を加えて「森里海」(もりさとうみ)の連環・つながりで研究する学問も提唱されています。先駆けのひとつが、いまでは全国に広がる自主的な「漁師による植林」だったというのです。


先人の経験 今に生きる

 漁村では古くから「魚を育てる森がある」「森が魚をよぶ」と言い伝えがありました。その森は「魚つき林(うおつきりん)」とよばれます。漁師の経験と先駆的な学者の説にたって、「漁民の森」づくりが始まったのは一九八〇年代後半から。漁師が山や川の流域に木を植えるのです。

 北海道漁協女性部が一九八八年、漁協として初めて組織的に実施し、全道へ広がります。「百年かけて百年前の自然の浜を」と漁協の女性たちが毎年、大量の植林を続けています。オホーツク海に面するホタテ養殖で有名な北海道常呂(ところ)町(現北見市)の漁協では、これまで植えた木は五十九万六千本に及びます。

 全国では、百八十六カ所(二〇〇五年調査)で「漁民の森」づくりを実施。北海道は漁協中心ですが、本州、九州などは自治体やNPO(民間非営利団体)が主催するケースも目立ちます。「お魚殖(ふ)やす植樹運動」「サクラマスの森づくり」「ハタハタの森の里づくり」「海人と山人の森づくり活動」と呼び名もさまざまです。

水源地 森の民もともに

 全国に広がるきっかけになったのは一九八九年、海の異変に気付いた宮城県気仙沼湾のカキ養殖漁民が川の上流の山(岩手県室根村、現一関市)に広葉樹を植え始めたことでした。リーダーの畠山重篤氏が、海の幸の源が川の奥地にある広葉樹の森にあるとして、名づけて「森は海の恋人運動」を開始したのです。

 この運動に植林の場所になった上流の「森の民」が応えます。山林が72%の室根村第十二区自治会(農業集落)が数年後に自ら森づくりを提案。下流の「海の民」と手を携えた「森は海の恋人」植樹祭は毎年六百―九百人規模で盛大に行われています。

 同自治会は、この時期、独自に「水車のある集落づくり構想」を策定し、水車をシンボルにして水源の山の水枯れや鉄砲水防止の森づくり、環境保全型農業、手づくり産業の振興にのりだしました。地元紙や全国紙の賞も受賞する注目されるとりくみです。

 漁師とともに植林にあたる第十二区自治会の小野寺寛・水車村村長=一関市=は、こう語ります。

 「植林を始めて今年で二十年ですが、森のあり方を見直し、地域おこしのきっかけになりました。海の生物環境をよくしたいと漁師が森に木を植えた運動は、上流の私たちには過疎脱却の地域づくりの運動でもありました。海の生物だけでなく内陸部のすべての生物、農家の稲作にとっても、広葉樹の落ち葉など森の栄養分はかけがえのないものだからです。いま人工林伐採の後に広葉樹の森づくりが広がり始めています」

 参加者がのべ一万人近くにのぼったという植樹祭は、森川海の生態系にそった豊かな森づくり・海づくりへと前進しています。

人間活動加えた連環学

 行政上も学問上も、ばらばらに扱われてくることの多かった森・川・海。それぞれの循環が崩れ、荒廃が急速に進むなかで、そのつながりと総合管理を重視した発想へと動いていきます。

 集落の消滅に直面する百四十六自治体が昨年十一月三十日に全国水源の里連絡協議会を結成するという新しい動きもでています。総会アピールは「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」との理念で、水源の里(限界集落)の流域(川上、川下)における連携を唱えています。

 「限界集落」の概念を提唱した長野大学教授の大野晃氏は同会のシンポなどで、山村研究の側から、山と川と海の生態系の有機的な結び付きを指摘。上流の山村集落を失えば山が荒廃し、下流の都市災害や漁村での海の環境悪化を招く―と「流域共同管理論」を提起しています。

 京都大学フィールド科学教育センターは「森里海」の連環を究明することを目的に発足。昨年刊行された『森里海連環学』で、新しい学問領域の提唱者は、森里海連環に関する代表的な先行事例に北海道漁協の活動をあげ、さらに「発想の原点の一つは“森は海の恋人”運動にある」(田中克センター長)といいます。

 同センターは、科学技術の進歩に伴い人間活動が爆発的に膨らんだ結果、「相互に密接につながって循環していた自然環境や生態系は分断され、その矛盾は地球環境問題という形で人類の生存を脅かしている」(同書)と指摘。個別研究には限界があり、人間活動の場である「里」を含めた新しい学問領域が必要になってきたというのです。研究は、「緒についたばかり」といいますが、北海道大学や高知大学とも連携し、活動を広げています。

 (上田明夫)


国の制度、動きは… 

 法制度上、一八九七年(明治三十年)の旧森林法で「魚つき保安林」を定め、現在も制度は存続しています。二〇〇一年の水産基本法では「森林の保全及び整備」を国は講ずべきだとしています。この年から五カ年計画で漁民の森づくりに補助金をだしています。また、「森・川・海のつながりを重視した」漁場づくりの検討会を開くなどしています。


広葉樹植える理由

 「漁民の森」運動で植樹されるのはミズナラ、ヤマザクラ、ブナなど広葉樹がほとんどです。戦後、国はスギやヒノキを大量に植え、針葉樹の人工林が急増しましたが、手入れされずに荒廃し、災害にも弱くなっています。広葉樹は針葉樹に比べ根が張り巡らされ、保水力もあります。土地本来の自然植生にも近いとされています。


魚つき林から森づくりへ

 魚つき林の歴史を研究する若菜博教授(室蘭工業大学)の話

 漁村では古くから海岸近くの森を守る慣習がありました。文書としては、江戸時代初期に今の大分県佐伯市の漁師が「イワシは金になる」と進言し、藩主が海岸の林を保護するよう命令書をだした記録があります。江戸中期にはサケが寄りつく河口部の林を「魚蔭林」(現岩手県宮古市)、タブノキ林を「禁断の山」(現新潟県村上市)と呼んで林を守った。さらには半島の森をクジラの漁場として大切にした(現山口県長門市)という記録もあるのです。

 漁師の経験のうえに、北海道大学の犬飼哲夫博士は、戦前から森と海の連関の視点から実証研究し、内陸の森林も海・漁場とつながっていることを解明しました。犬飼らの先駆的業績に勇気づけられ、北海道などで漁民が内陸部を含む場所に木を植える組織だった森林づくりが始まります。

 森と海の間の水や物質の循環は諸説ありますが、研究は進んでいます。人々が蓄積・伝承してきた経験や運動を歴史や地域から学び、科学的に検証し解明することの大切さを魚つき林の歴史が示唆していると思います。


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