2007年11月11日(日)「しんぶん赤旗」
政局流動化
亡き政治評論家と「赤旗」
○…政局が流動化すると一人の人物を思い起こします。亡くなって五年になる伊藤昌哉氏です。池田勇人首相秘書官をつとめ、のちに政治評論家として、自民党の権力闘争を赤裸々に描いた『自民党戦国史』は話題を呼びました。
〇…伊藤氏の自民党の動向分析には定評がありました。混迷政局は伊藤氏の見通しとそう遠くない状況でしばしば落ちつきました。
田中角栄内閣がロッキード事件と金権政治に倒れ、その後の三木武夫内閣は党内少数派を基盤にする不安定政権と続き、国会は与野党伯仲。伊藤氏は福田赳夫、大平正芳両派(ともにのち首相)の連携、いわば「派閥大連立」へ動きました。自民党にとって党史上最初の政権危機にたいする危機回避策でした。
〇…そんな伊藤氏が晩年まで政局観において衰えを見せなかった一つの理由があります。毎日、午前中いっぱいかけ丹念に読み込む新聞です。淳子夫人(85)によると、視力の衰えた伊藤氏はルーペ(拡大鏡)を手に赤ペンで要所に線を引いて読んでいました。
伊藤氏が目を通していたのは一般紙七紙と「しんぶん赤旗」。淳子夫人は「伊藤は、新聞として独自の論陣を張っていると『赤旗』に敬意を表していた。『赤旗』には他紙には書いてない本当のことが書いてある、とよく話していましたね」と話します。
〇…生前の伊藤氏は「自民党政治の本質は首相秘書官として首相官邸にいたときや大平首相のかたわらにいたときと何も変わっていない。結局、どうしたら権力維持に得になるかを考えて行動する。だから、新聞報道を見ると大体わかっちゃう」とよく口にしていました。今日の自民党と元自民党幹事長が率いる民主党の「大連立」騒動を伊藤氏が存命であったら、どう見ているか聞きたいところです。(協)

