2007年9月28日(金)「しんぶん赤旗」

ミャンマーの歩み


 ミャンマー(人口五千万人)は、アジアの二つの大国インド、中国と国境を接しています。十九世紀後半に英国領インドに編入され、第二次世界大戦中(一九四二〜四五年)は日本の軍事占領下におかれます。戦後、英国との交渉で四八年に完全独立を達成しました。

 独立運動指導者アウン・サン氏は四七年に暗殺されますが、今も国民から「建国の父」として慕われています。現在の反軍政勢力の中心、国民民主連盟(NLD)書記長アウン・サン・スー・チーさんの父です。

 五六年と六〇年には総選挙が実施されますが、六二年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターで実権を掌握して憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する一党支配体制を確立しました。

 しかし、長年にわたる鎖国政策と国家統制で経済が急速に悪化し、国連から最貧国に認定されるなかで八八年には生活改善と民主化を求める国民の運動が高揚。これにたいし、国軍が同年九月にクーデターを決行して流血の弾圧を加えて死者千人以上が出るなか、国家法秩序回復評議会が全権を握りました。

 国際的批判と国民の民主化要求に押されて、同評議会(軍事政権)は九〇年に総選挙を実施しました。しかし、NLDが全四百八十五議席の81%を獲得すると選挙結果の受け入れを拒否しました。九七年には同評議会を国家平和発展評議会に名称変更。国名は八九年にビルマ連邦からミャンマー連邦に変わりました。

 国民の約九割は仏教徒。僧侶は歴代の王朝に正統性を与える存在であり、英国の植民地時代には民族の精神的支柱として独立運動の先頭に立った歴史もあります。八八年以降の民主化闘争でも積極的な役割を果たしました。


軍政下の主な出来事

1988年3月 ヤンゴンで民主化要求の学生デモが起き、全国に波及

   9月 国軍がクーデターで全権掌握。軍の発砲で1000人以上が死亡

 89年6月 国名をビルマからミャンマーに変更

   7月 スー・チーさん自宅軟禁

 90年5月 総選挙で国民民主連盟(NLD)が圧勝

 93年1月 新憲法制定へ国民会議設置

 95年7月 スー・チーさんの自宅軟禁解除

  11月 NLDが国民会議ボイコット、翌年から長期休会に

 96年12月 ヤンゴンで88年以来最大の反軍政デモ

2000年9月 スー・チーさん2度目の自宅軟禁

 02年5月 スー・チーさんの自宅軟禁解除

 03年5月 スー・チーさん拘束

   8月 軍事政権が「民主化行程表」発表

 04年5月 約8年ぶりに国民会議再開

 05年11月 ヤンゴンからネピドーに首都移転開始

 07年5月 スー・チーさんの軟禁を1年延長

   8月 ヤンゴンなどで物価値上げ抗議デモ

   9月 国民会議終了。僧侶らの反軍政デモ広がる


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