2007年9月6日(木)「しんぶん赤旗」

戦前、26歳で逝った共産党員・関淑子とは?


 〈問い〉 「日本のうたごえ」の指導者、関鑑子さんの妹、淑子さんとはどんな人ですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 関淑子(せき・よしこ)は、戦後の「日本のうたごえ」運動をリードした関鑑子(あきこ)の9歳下の妹で、不屈にたたかい抜いた日本共産党員です。1935年1月27日、病気保釈中に特高警察の目をくぐって活動中、東京・浅草で不慮の火災に遭い、26歳の若さで亡くなりました。

 淑子の父は、美術評論家の岩二郎(如来)、母トヨは日本で最初の看護婦の資格をとった人で、自由で進歩的な考えをもった家庭で育ちました。キリスト教の洗礼も受けていた淑子の転機は27年8月。娘の死を悼む父の手記にはこう記されています。

 「北海道における姉の音楽会出席不能の理由説明のため、左翼劇団の人々に伴はれ、その地に赴きしところ、劇団の人々とともに豚箱に投げ込まれ、…理不尽なる拷問を受け、…この時における淑子の当局に対する憤まんのいかに深刻なりしかは…、これが動機となりて、淑子は真剣にマルキシズムの研究に没頭、…卒業を前にして退学し、遂に実行運動に人り…」

 北海道から帰るとまもなく、津田英学塾(現在の津田塾大)を退学、関東金属労組本部の書記になり事務所に住みこみます。29年の4・16事件で検挙され、留置場で知った金舜実という朝鮮人女性が、バケツに氷を入れて両足を長時間浸される拷問にも屈しない姿に「強く感銘を受けた」と淑子はのちに語っています。

 同年11月ごろ、全協(全国労働組合協議会)の活動家・佐藤秀一(45年2月24日、豊多摩刑務所で獄死)と結婚。31年1月ごろ、八カ月の赤ちゃんを早産し亡くします。淑子は赤ちゃんの小さな骨壷を肌身はなさず持って、日立亀戸工場などの労働者を組織する活動、同年夏から共産青年同盟の活動に。翌32年3月ごろ、横浜で検挙された淑子はひどい拷問を受けます。父は手記で、「淑子を素裸にして箕巻きにし逆さに吊して責めたることあり、…つひに仮死の状態に陥りたるにより当局も驚き、兄姉を呼出して引渡したる…人権蹂躙の極致にして…」と告発しました。

 危篤状態で釈放され一時療養した淑子は、じきに共青の中央機関紙「無産青年」の仕事にかかわります。

 同年9月また逮捕され、獄中で重態となり翌年秋、保釈に。病気の体をおして淑子は、特高の目をくぐって、ベークライト工場や舞踊研究所で働き、党組織との連絡を回復するために努力を続けました。このため、裁判は欠席のまま懲役3年に逃亡罪1年が加えられました。

 焼死したとき、スーツケースには、最後まで勉強していた独文の『ドイツイデオロギー』と独和辞典が残されていました。

 府立第2高女(現竹早高校)時代の友人、菅野清子は次の歌を詠みました。

 こころざし竟(つい)に抂(ま)げずとききしときひそかにわれの君を誇りし

 〈参考〉山岸一章著『革命と青春〜日本共産党員の群像』(新日本選書)(喜)

〔2007・9・6(木)〕


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