2007年9月1日(土)「しんぶん赤旗」
防衛施設庁 きょう廃止・統合
官製談合の反省どこへ
米軍再編の促進狙う
防衛施設庁が一日に廃止され、防衛省へ統合されます。廃止・統合へ動き出すきっかけになったのは、同庁での官製談合事件(昨年一月)でした。その反省は生かされているのでしょうか。
結論先にありき
防衛施設庁は、一九六二年に発足した防衛庁(当時)の機関の一つ。約三千百人の職員を抱え、在日米軍や自衛隊の基地の取得・建設・管理、基地周辺対策などを任務としてきました。
防衛施設庁幹部が談合容疑で逮捕された昨年一月三十日の深夜、額賀福志郎防衛庁長官(当時)は「施設庁を解体するくらいの気持ちで出直す」と発言。二月一日には「防衛施設庁を解体する」と表明しました。
防衛庁は、逮捕の翌日に、「再発防止に係る抜本的対策に関する検討会」を設置し、報告書がまとまったのは六月。廃止・統合は、まさに結論先にありきでした。
談合事件で問題になったのは、防衛施設庁幹部が、天下りをどれだけ受け入れたかを考慮して、競争入札の落札予定企業を配分し、企業側に伝えていたこと。求められていたのは、高級官僚の天下りという根源にメスを入れることでした。
ところが政府・与党は、天下りを規制するどころか、その合法化を図る天下り自由化法(改悪国家公務員法)の国会成立を強行(今年六月)。事件へのまともな反省は、みじんもみられません。
「防衛省」を実現
防衛庁が当時、防衛施設庁の廃止・統合をすぐさま打ち出せたのには、背景があります。
防衛庁は談合事件が発覚した昨年一月、「防衛省」へ移行するためのチームを庁内に設置し、防衛省法案の作成作業を進めていました。
談合事件発覚直前に公明党の草川昭三副代表は参院本会議で、省移行を受け入れる条件として、防衛施設庁の防衛庁への統合を提案。額賀長官も「重く受け止め、前向きに検討する」と記者会見で述べていました。
結局、廃止・統合の方針は防衛省法に書き込まれ、具体的な改編計画は改悪防衛省設置法(今年六月)に盛り込まれました。廃止・統合は、防衛庁の悲願=省移行実現の一環だったのです。
住民対策強化へ
もう一つの狙いは、沖縄のキャンプ・シュワブ沿岸部への米軍新基地建設や、米軍岩国基地への空母艦載機部隊の移駐など、米軍基地の恒久化・強化を図る在日米軍再編の促進です。
二〇〇七年版の「防衛白書」(七月)は、廃止・統合作業を進める「観点」として、「地方との緊密な関係を構築することが防衛省にとって一層重要になっている」と強調し、その一例として「米軍再編の円滑な実施」を挙げています。
防衛施設庁は、在日米軍再編では、実務的な企画立案や自治体への“説得”作業を担ってきました。こうした業務は改編に伴い、防衛省に新設される「地方協力局」へ移行します。防衛施設庁の出先機関だった防衛施設局(全国八カ所)は、防衛省の地方拠点に位置づけられ、「地方防衛局」へと改編されます。
在日米軍再編には、沖縄、岩国、座間など多くの自治体と住民が反対しています。談合事件を口実に、こうした自治体・住民を組み伏せる体制強化が図られることになります。

