2007年8月22日(水)「しんぶん赤旗」

インド訪問の安倍首相

パール判 事遺族と面会 なぜ


 安倍晋三首相は二十一日からのインド訪問に際し、日本の戦争犯罪を裁く東京裁判(極東国際軍事裁判)で有罪判決を受けた東条英機元首相ら二十五人の被告に対して唯一「無罪」を主張したラダビノッド・パール判事の遺族と面会する予定です。今なぜパール判事か、疑問の声が起こっています。


 同裁判(一九四六―四八年)では(1)平和に対する罪(2)通例の戦争犯罪(3)人道に対する罪―が問われ、東条らが有罪とされました。インド代表として判事団に加わったパール氏は、第二次大戦が始まった時点で(1)と(3)は存在しなかったので、「事後法」で裁くことはできないと主張しました。

批判したのは裁判の進め方

 日本の侵略戦争を肯定する「靖国」派などは、パール判事の立場を、日本に戦争責任がないことを国際的に証明するものであるかのように利用してきました。安倍氏も首相就任直前に発表した『美しい国へ』で、東京裁判に関しては「事後法によって裁いた裁判は無効だ」との議論があると言及。昨年十月六日の衆院予算委の答弁でも「事後法」論を展開し、同裁判に疑問を表明しました。

 しかしパール氏は、先の戦争での日本の行動を正当化したわけではありません。裁判の法的な進め方を批判したのです。

“残虐行為の証拠 圧倒的”

 同氏が独自にまとめた「パール判決書」は、三一年からの満州事変について、「たしかに非難すべきものであった」「一国の他国領土内への膨脹(ぼうちょう)(政策であり)…かような政策を正当化する者もおそらくないであろう」などと述べています。三七年の南京事件についても、残虐行為の「証拠は、圧倒的である」としています。

 「平和に対する罪」が事後法だとのパール氏の見解に対しては、一九年の国際連盟規約や二八年の不戦条約など、第一次大戦以降の戦争違法化に向けた国際法の発展を過小評価しているとの批判があります。

 東京裁判は、昭和天皇の戦争責任を免罪したなどの問題点をもっていますが、「不戦条約で禁止された『国際紛争解決の為』の戦争を、国際犯罪と位置づけ、侵略戦争の指導者を裁いたものとして、その後の世界平和の探究に大きな意義をもちました」(『日本共産党の八十年』)。

 戦争犯罪の概念は戦後、ニュルンベルク裁判や東京裁判に基づいて発展を遂げ、戦争犯罪を働いた個人を裁く常設国際裁判所である国際刑事裁判所の設立(二〇〇三年)に結実しています。

 しかも五二年発効の対日講和条約(サンフランシスコ条約)では、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」すると明確に規定されています(一一条)。

侵略戦争を肯定する印象

 安倍首相は、第二次大戦で大国間の矛盾に乗じてインド独立を促進する立場から日本の侵略戦争に協力したチャンドラ・ボースの遺族との会見も予定しているといいます。パール判事の遺族との面会と重ね合わせれば、日本の首相がまたぞろ、過去の侵略戦争を肯定するパフォーマンスをしているとの印象をふりまき、新たな国際問題になりかねません。(坂口明)



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