2007年8月18日(土)「しんぶん赤旗」
防衛事務次官に増田氏
守屋氏は退任 当面は収拾へ
政府は十七日、防衛相と事務次官、官房長官などの確執から調整が難航していた防衛省の事務次官人事について、守屋武昌次官を退任させ、後任に増田好平人事教育局長を起用する方針を固めました。政府は、二十七日に予定する内閣改造後に次官人事を決着させる方針でしたが、安倍晋三首相の指導力を問う声が広がったため、早期決着を図る必要があると判断したものです。
この問題は、テロ特措法延長問題などの処理を理由に、続投の意思が固かった守屋次官に対し、小池百合子防衛相が防衛省の組織再編(九月一日)を機に退任を通告したことが発端。反発した守屋次官が安倍晋三首相にまで陳情したことから政治問題化しました。一方、各省庁の次官人事などを検討する人事検討会議を主宰する塩崎恭久官房長官も小池防衛相から相談がなかったと不快感を表明するなど、官邸を巻き込んでの混乱となっていました。
塩崎官房長官は十七日午後、「ここまで混乱してしまい、国を守る体制としてどうか。官邸としてリーダーシップを取らなければならない」と語り、次官交代の方針を示しました。
しかし、当初小池防衛相が内定したのは警察庁出身の西川徹矢官房長。後任の増田氏は防衛省(庁)生え抜きですが、西川氏のほか防衛政策局長、運用企画局長、防衛施設庁長官などより入省年次が遅く、人事面での混乱は続きそうです。
解説
国民不在の主導権争い
防衛省の事務次官をめぐる政府内の混乱は、安全保障を担当する省庁の事務方トップの人事さえ短時日に収拾できない安倍内閣の求心力のなさと首相の指導力不足を改めて浮き彫りにしました。
塩崎恭久官房長官は、次官交代の方針について「官邸としてリーダーシップを取らなければならない」と“官邸主導”を強調しましたが、混乱に拍車をかけたのが官邸の対応でした。
もともと防衛次官の人事をめぐる混乱は、政策的な対立などから起こったものではありません。防衛相続投に意欲を示す小池百合子防衛相が、異例の長期在任となっている守屋武昌次官を更迭し、省内を掌握したいとしたことに、守屋次官が「相談を受けなかった」と反発したことから始まったものです。
大臣と次官が反目した際に、調整役となるべき官房長官も小池氏の根回し不足を理由に、人事決定を先送りする主導的役割を果たしたのでした。安倍首相はこの間、自ら調整に乗り出すでもなく、静観するだけでした。
沖縄の米軍新基地建設予定地をめぐる意見の相違や、海上自衛隊のイージス艦の情報漏えい問題への対応など、後から“政策的対立”が背後にあるかのように報じられましたが、発端は国の安全保障とはかけ離れた個人的確執だったのです。
先の参院選では、憲法改定や集団的自衛権行使に向けた解釈変更などで、「米国と肩を並べて海外で戦争をする国」づくりをめざす安倍路線への不安や危惧(きぐ)が自公大敗へとつながりました。そのことへの反省もなしに、内輪の主導権争いに終始する閣僚と高級官僚。そこには、国民の審判も無視して、居座りをはかる安倍首相の国民不在ぶりが反映もしています。
国の安全保障政策そっちのけで人事争いを繰り広げた安倍自公政権には未来がないことを改めて示した混乱でした。(藤田健)

