2007年6月4日(月)「しんぶん赤旗」

ここが知りたい特集 「政教一体」を考える

公明党と創価学会

「政教一体」で「悪政戦犯」の役割


 日本共産党の第四回中央委員会総会は、公明党が政権与党として果たしている役割と問題点を2つの角度から明らかにしました。一つは、党利党略の「実績」づくりと引き換えに悪政をリードする「悪政戦犯」の役割です。もう一つは、その公明党と創価学会の「政教一体」ぶりがいよいよたがのはずれたものになっていることです。その実態を見ました。


「増税戦犯」

党利党略の「実績」作り

 公明党の「悪政戦犯」ぶりの最たるものが、所得税・住民税の定率減税廃止です。定率減税全廃と税源移譲による税率引き上げにより、年収七百万円の世帯(専業主婦、子ども二人)では六月から住民税が月九千四百円も増えることになります。

 公明党は二〇〇三年総選挙で、「100年安心の年金」を大宣伝。そのための基礎年金国庫負担引き上げの財源として「定率減税の段階的廃止と年金課税の見直し」を公約しました。その後も、与党内で定率減税の廃止を主導し、「増税戦犯」(「東京」〇四年十二月十六日付)と厳しい批判を浴びています。

 〇五年には「防衛省」格上げの法案の審議入りと教育基本法改悪に前向きに応じることを児童手当拡大と裏取引したと報じられ、「公明党余りに筋違いの取引だ」(「朝日」〇五年十二月七日付社説)との見出しで批判されたほどでした。

 どちらの場合も、選挙目当ての「実績」づくりという党利党略でした。

池田氏が陣頭指揮

機関紙で「勝ちまくれ」

 「悪政戦犯」の公明党と創価学会の「政教一体」ぶりが露骨に示されるのが選挙です。四月のいっせい地方選挙でも、公明党の選挙を、陣頭で指揮したのが池田大作名誉会長だと創価学会はいいます。

 後半戦の投開票の翌々日の四月二十四日付聖教新聞の青年部座談会では、「統一地方選の後半戦も全員当選 完全勝利 各党派別の当選者数で公明党が第1党」の大見出しをつけ、「これも、ひとえに池田先生が陣頭指揮を執ってくださっているおかげです」と、「政教一体」で選挙をたたかったことを自他ともに認めています。

 実際、聖教新聞をみると、前半戦告示の約一カ月半前の二月五日付で池田名誉会長の「和歌」を掲載。「勝ちまくれ また勝ちまくれ」「私と 共に戦う 法戦を」と、呼びかけました。

 二月二十二日付からは三回連載で、池田氏のペンネームである「山本伸一」名で、全六ページにわたって「広布第一線・学会の要 地区部長 地区婦人部長の皆様に最敬礼」との“長編詩”が掲載されました。三月三日付では、この“長編詩”について、「全国の地区部長・婦人部長が名誉会長の長編詩胸に快進。皆で支え完勝を」などと書き、これが選挙戦をたたかう事実上の指導文書とされていたことを認めました。

 「札幌の東区・白石区・北区の尊き同志よ攻め抜け!」など選挙区を名指しした檄(げき)も連日掲載されました。

 公明党のいっせい地方選挙結果をうけた聖教新聞一面の報道も四年前に比べ、「政教一体」ぶりがはめをはずしたものとなっています。四月二十四日付の聖教新聞は、一面トップで「全国が完勝 同志に感謝」「『戦い切った』喜びの勝鬨(かちどき) 広宣流布へ!『法華経の兵法』で快進」との見出しが躍り、公明党候補が全員当選したことを「全国に創価完勝の旗が翻った!」と、創価学会の「完勝」として誇示しました。

 四年前は、「世界で慶祝 立宗750周年記念勤行会」の見出しのついた記事中に、「全国では大勝の大会」の中見出しをつけた程度でしたから、今回、臆面(おくめん)もなく創価学会の「完勝」として誇示する異常さが浮かび上がります。

「猛省」講演どこへ

議員に「誰のおかげだ」

 この創価学会と公明党の関係で問われるのが、一九七〇年に池田氏がおこなった「猛省」講演との矛盾です。

 創価学会は一九六九年から七〇年にかけて、同会を批判した評論家の藤原弘達氏などの著作を、政治家の圧力までつかって闇に葬ろうとした言論・出版妨害事件を引き起こしました。日本共産党をはじめ世論の厳しい批判を浴び、最後には池田会長(当時)が七〇年五月三日の講演で「猛省」を表明。(1)言論問題は二度と繰り返さない(2)創価学会と公明党の関係は制度上明確に分け、選挙活動も党組織の仕事として立て分ける(3)かたくなな反共主義はとらない―などを社会に約束したのです。(別項)

 ところが、九九年十月の公明党の政権入りから二年、池田氏は聖教新聞に「法悟空」名で“随筆”を発表。言論・出版妨害事件での「猛省」をかなぐりすて、事件そのものを「仏敵」の「極悪の輩(やから)」から「正義の信仰」を守り抜いた闘争として描きだし、「政教分離」の公約もかなぐり捨てました(聖教新聞、二〇〇一年七月十日付=別項)。

 日本共産党の不破哲三議長(当時)はこの問題を取り上げ、「創価学会・池田大作氏に問う―三十一年前の『猛省』は世をあざむく虚言だったのか」(〇一年七月二十二日)を発表。公明党の政権入りを前後した、公明党・創価学会の謀略的な選挙妨害と異常な反共主義の根底に、三十一年前の「猛省」をかなぐり捨て、自分を批判するものすべてを「仏敵」とし、手段を選ばず「撲滅」をはかるという「究極の独善主義」の復活があると指摘しました。

 同時に、「猛省」講演がうそだったことを自ら暴露したことは、創価学会・公明党およびこれと連合するものの陣営に新しい矛盾を噴き出す状況を生み出さざるを得ないと指摘。「このような異常で特殊な集団が政権に参加している問題については、それが社会的な批判と吟味にさらされる日が必ず来る」と批判しました。

 それから六年、創価学会はこの批判に何の回答もないまま沈黙。日本共産党に対して、公明党と一体に、予算に反対したから実績はない、「実績横取り」「ハイエナ」などと口汚い攻撃を繰り返すなど、異常な「政教一体」と反共主義の道を暴走しているのです。

 さらに問題は、「究極の独善主義」という体質をあらわにした創価学会と公明党との関係です。  創価学会の青木亨理事長(当時)は、かつての公明党国会議員に対して、「議員になれたのは、誰のおかげだ。お前たちの今日があるのは、誰のおかげだ。すべて学会のおかげではないか」(聖教新聞、〇五年九月二十九日付)と公言。

 聖教新聞一面のコラムでも、「公明党よ、勝って兜の緒を締めよ!偉大な支持者に、報恩の誠を尽くせ!」(四月二十六日付)と書くなど、政教一体の本音を隠そうともしていません。  「仏敵撲滅」論にたった反民主主義的体質をあらわにしている集団が、政権与党をささえる公党の国会議員に「議員になれたのは誰のおかげだ」と言い放つ関係をつくりあげていることは、日本の民主主義の前途に重大な危険をもたらしかねないものです。

 こうした異常な集団と一体の関係にある政党の政権参加の是非、そしてそれと連立を組んでいる自民党の姿勢が厳しく問われています。


70年「猛省」講演

◎言論問題

「これまでは批判に対して、あまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。今後は、二度と、同じ轍(てつ)を踏んではならぬと、猛省したい」

◎学会と公明党の関係

「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体であると、はっきり政教分離の出発を目指しておきました」

「これは提案になりますが、創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。…たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります」

「選挙に際しても、公明党は党組織を思い切って確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行なっていただきたい」

◎共産党に対する態度

「現在、共産党と学会が、常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えております。しかし、これは私の本心ではない。…我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない」

01年の“随筆”

 「昭和四十五年の“言論問題”の前後より、学会は、数人の代議士からも罵倒(ばとう)され、ある時は、テレビを使い、雑誌を使い、演説会を使い、非難中傷された。あらゆる会合で、火をつけるように、悪口罵言(あっくめり)を煽(あお)り立てられた。

 なんという悪逆か! なんという狂気じみた悪口か!

 私自身も、愛知県の代議士から、国会喚問の要求を初めてされた。

 『信教の自由』を侵害する狂暴な嵐であった。理不尽な罵倒の連続であった。

 ともあれ、中部の同志は、血の涙を拭(ぬぐ)いながら、断固として仏敵と戦う決意を、炎と燃やした。卑劣な強敵と、真っ向から勇敢に戦った。

 全会員が、極悪の非難に対して、怒鳴り返し、堂々と反転攻撃の闘争を、連日、続け始めた。

 人びとの幸福と平和を願い、基本的人権をもつ市民として、正義の信仰を流布して、何が悪いのか!」

表

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