2007年4月26日(木)「しんぶん赤旗」

「従軍慰安婦」 安倍首相の発言

戦後日本の歩み否定

強制の事実明らか


 安倍晋三首相の訪米を前に「従軍慰安婦」問題での日本政府の姿勢があらためて問われています。米メディアも二十一日、安倍首相へのインタビューでこの問題を質問。関心の高さを示しました。「強制性はなかった」「裏付ける証拠はない」という安倍首相らの言動がなぜ国際的な大問題になるのか。この間、明らかになった資料(十八日、十九日付本紙で一部既報)は、そのことを示しています。(中村圭吾)


 十七日に林博史・関東学院大学教授らが記者会見で公表した資料は、戦争犯罪を裁いた東京裁判(一九四六―四八年)で各国検察陣が提出し、証拠書類として採用されたものです。東京裁判では、日本軍が占領地で行った数々の残虐行為とともに、性行為の強制も問題となりました。

 東京裁判の判決は、中国についての記述の中で、「桂林を占領している間、日本軍は強姦と掠奪のようなあらゆる種類の残虐行為を犯した。工場を設立するという口実で、かれらは女工を募集した。こうして募集された婦女子に日本軍隊のために醜業(売春)を強制した」(極東国際軍事裁判速記録)と指摘しています。

 オランダの検察陣は、インドネシア・ボルネオ島(カリマンタン)、モア島、ジャワ島、ポルトガル領ティモール(東ティモール)の四カ所での証拠書類(資料(1)、(2))を提出。フランスはベトナム・ランソンでの事件(資料(3))を、中国は桂林での事件(資料(4))を証拠として提出しました。これらの資料は、日本軍が現地の女性を強制的に「慰安婦」にした事実を物語っています。

 日本政府は、サンフランシスコ平和条約(一九五二年発効)で、東京裁判をはじめとする国内外の戦犯裁判の判決を受け入れました。

 同条約は第一一条で、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」と述べています。

 サンフランシスコ平和条約は、日本が、国際社会に復帰する第一歩となった条約です。「慰安婦」問題で「強制性がなかった」とする安倍首相らの言動は、同条約締結以来の日本の歩みを政府自らが根底から崩すものにほかなりません。

「日本軍が家々に押し入り脅迫」

 提出された証拠書類は英文と邦訳文。カタカナはひらがなに、旧字体は新字体に直しました。また適宜、改行しました。

資料(1)

 「ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書」(インドネシア・ボルネオ<カリマンタン ポンティアナック)(PD<検察側証拠書類番号> 5326/EX<法廷証拠番号> 1701A)

 本日、一九四六年三月一三日容疑者林秀一は在ポンチヤナック臨時軍法会議予審委員たる予、即ちメーステル・イエ・ベ・カンの面前に出頭した。

[証人○○の訊問調書が容疑者に提示され、これについて訊問がなされた]

  この婦人が○○及○○と共に上杉より訊問を受けたことは本当であります。その場合私は馬来(マレー)語通訳として立会ひました。上記婦人は日本人と親密にしたと云ふので告訴されたのです。日本人と親密にすることは上杉の命によって許されていなかったのであります。私は上記の婦人を平手で打ったことを認めます。又彼等の衣服を脱がせたことも認めます。之は上杉の命令で行ったのであります。かくて三人の少女は一時間裸で立たなければなりませんでした。

  これは日本で婦人を訊問する時の慣習か。

  私は知りません。

  君は部下ではない。かくの如き命令に従ふ必要はない。

  私はこの婦人たちが脱衣して裸にならなければならなかったことを承認しました。私は此の婦人たちは実際は罰すべきでなかったと信じます。併し彼等を抑留したのは彼等を淫売屋に入れることが出来る為の口実を設けるために上杉の命令でなされたのであります。脱衣させたのは彼等が日本人と親密になったことを彼等に認めさせることを強ひるためでありました。結局その婦人たちは淫売屋へは移されませんで、上杉の命令で放免されました。何故だか私は知りません。

 (被害者女性の名前は○○に置き換えました)

資料(2)

 ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書(一九四六年六月二六日付、ポルトガル領ティモール<東ティモール>)(PD5806/EX1792A)

 一九四二年二月二一日、私は、日本軍がディリの中国人やその他の家々に押し入り掠奪をおこなうのを見ました。日本軍があちこちで族長らに対して、日本軍慰安所に現地の少女たちを提供するように強制したことを私は知っています。その際に、もし少女らを提供しなければ、日本軍は族長らの家に押しかけて、慰安所に入れるために近親の女性たちを連れ去るぞ、と言って脅迫しました。

資料(3)

 ニェン・ティトンの口述書抜粋(ベトナム・ランソン)(PD2772E―5 EX2120)

 四日間自由であった後、私は街で日本人に逮捕され印度支那保安隊の病院の後方にある憲兵隊に引致されました。

 私は八日間、日本憲兵隊に監禁された後放免されました。其後私は数回逮捕され乱暴に殴られました。日本人等は私の仏人との交際を咎めたのでありました。

 ランソンに於ける捜査の間、日本人等はフランス兵と一緒に生活していた私の同国人数名に彼等が光安に設けた慰安所へ一緒に行くやう強制しました。私は巧い計略の結果、彼等から免れることが出来ました。

資料(4)

 軍事委員会行政院戦犯証拠調査小隊「桂林市民控訴 其の一」(一九四六年五月二七日付、中国桂林)(PD2220/EX353)

 敵軍の我が桂林を侵略せしは一年間にして其の間姦淫、捕虜、掠奪等為ささる処無く長縄大尉なる日本福岡県人は敵復興支部長の職を担当し、人と為り陰険悪毒にして桂林市に有る偽新聞社並びに文化機関をして自己の支配下に置き其等を我が民衆の懐柔並びに奴隷化の中心機関とし且又偽組織人員を利用し工場の設立を宣伝し、四方より女工を招致し、麗澤門外に連れ行き強迫して妓女として獣の如き軍隊の淫楽に供した。



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