2007年3月4日(日)「しんぶん赤旗」

共産党は体を張ってたたかいの歴史築いた

兵庫・元南光町長 山田兼三さん語る


 長野の御代田町長選告示の二日前に、茂木さんの応援で町民決起集会で話をしました。駅前の栄町公民館でしたが、参加した町民が一言も聞きもらすまいと真剣に聞いてくれ、町を変えたいという期待感がビンビン伝わってきました。

 茂木さんは「解同」べったりの同和事業をすぐに撤廃していくという明快な態度でした。私は南光町長二十五年の経験から、同和行政を廃止して一般施策に回し町政を充実させたこと、同和教育をやめ自由で民主的な公民館活動を活発にしたこと、町長には予算編成権があり、議会は少数与党であっても町長の方針で行政の運営はできること、国や県の補助金も前町長のときの二倍になったことなどを話しました。

 この話は「共産党で行政運営ができるのか」という町民の不安をときほぐすために役に立ったと聞きました。

 兵庫県では、一九七四年十一月に兵庫県但馬地方で八鹿高校事件が引き起こされました。それ以前は、県下の自治体で「解同」の無法・暴力がまかり通り、警察も見てみぬふりでした。共産党に敵対する「解同」のいわば泳がせ政策がつづいていました。八鹿高校事件がその転機でした。学校を思いの通りにしようと、昼ひなか七十人の教職員を襲撃、監禁し、集団暴行を加えました。当時はマスメディアも「解同」タブーのもとにあり、共産党をのぞくすべての政党が「解同」を擁護しました。

 そのなかで犯人を逮捕させ正義の世論を広げたのは、暴力に屈しない関係者のたたかいであり、国会内外での共産党議員の追及でした。日本共産党員は文字通り体を張ってたたかいました。

 暴力の前にものもいえなかった住民も重しがとれて立ち上がりました。但馬地方の当時の八鹿、養父、朝来の各町で共産党が単独で支持する公正・民主の町政が誕生しました。一九八〇年の南光町での共産党員町長の誕生もその延長線上にありました。

 こうした公正・民主自治体の躍進を見て、「解同」と癒着していた当時の坂井知事は県政も公正・民主の波をかぶるのではと恐れました。知事は県庁内の会議で「解同との関係に一線を画さないといけない。共産党は体をはって解同とたたかった。あの姿を見習わないといけない」と話しました。巻き返しの動きは軽視できませんが、共産党と住民のあのたたかいが「解同」の利権あさりをやめさせ、いま不公正な同和行政は終結へ追い込まれつつあります。

 旧南光町ではすでに二十五年前に同和事業を全廃しましたが、全廃こそ国民的融和で差別を解消し、同和地域でも穏やかさをとりもどす確かな道なのです。(談)


もどる
日本共産党ホーム「しんぶん赤旗」ご利用にあたって
(c)日本共産党中央委員会
151-8586 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7 TEL 03-3403-6111  FAX 03-5474-8358 Mail info@jcp.or.jp