2007年1月22日(月)「しんぶん赤旗」
ゆうPress
伝統の技兄弟で継ぐ
万祝(まいわい)式大漁旗づくり
上達する面白さがある
何でも覚えていきたい
鮮やかな色彩が目を引く「万祝(まいわい)式大漁旗」。祖父と父、二代にわたり千葉県の伝統的工芸品に指定されています。亡き祖父が取り入れ、父親がつちかってきた万祝式の染色技法を引き継ごうと、兄の小澤亮一さん(26)と弟の弘樹さん(23)が日々、職人技の向上に努めています。家族総出で染め付けをしている銚子市の工場を訪ねました。(本吉真希)
ゴトンゴトンと小さな一両電車に揺られること二十分。銚子電鉄の銚子駅を出発して関東最東端の犬吠埼を通りすぎると、終着駅の外川に着きました。駅前の路地を抜け、さらに細い路地に入ったところに小澤染工場がありました。眼下に外川漁港が広がります。
父親の克己さん(53)から技術を学んでいる二人は、二十畳ほどの工場でもくもくと作業をしていました。
「いつもよりいいかもしれねえな」と克己さん。兄の亮一さんが畳三分の二畳ほどの大きさの布に、もち米から作ったのりで図柄を描く作業=「のり付け」をしていました。
一点集中
布の両端を木製の張り手に挟んで広げ、五本の伸子(しんし)でさらにピンと広げます。腰の高さでゆらゆら揺れる不安定な布と向き合います。
一点集中。
「考えすぎると手が動かなくなる。(絵や文字の)勢いがなくなる」と亮一さん。
万祝式大漁旗の主な工程は(1)鉛筆の下絵描き(2)のり付け(3)色付け(4)のりを洗い落とす洗濯―です。(2)(3)(4)それぞれの過程が終わるごとに乾燥します。父・克己さんのレベルまで達すると、下絵は描かず大まかな場所を記すだけ。直接、のり付けを始めます。
のり付けは全工程で、いちばんの要です。克己さんからいわれていることは絵と文字の構図のバランス。「のり付け時点で絵全体が見えていないといけない」。克己さんは亮一さんが描いた図柄の「足りない部分を見つけて」指示します。
亮一さんがのり付けをするようになったのは約二年前。「『祝』を書いてみい」と父からいわれました。そのとき「よしっ」と思いました。でも出来は「全然ですよ」。
いちばん難しいのは、のり付けに使う道具=「筒引き」を使いこなすこと。筒引きは、ケーキに生クリームを絞るときに使う絞り袋に似ています。のりを押し出す力加減が難しい。
「くせものです。いうこと聞かない」。描くスピードと押し出す力、すべてが感覚です。使いこなせるようになるまで十年はかかるといいます。
3歳から
兄弟二人の生活に、いつも大漁旗はありました。「小さいころ、色塗りを手伝ったのが面白かった」。いまと変わらない工場で、三―四歳のときから“遊び”の一部として旗作りに触れてきました。いちばん簡単な千鳥やカモメを「塗り絵」感覚で色塗りしました。「高さが届かなくて台に乗せてもらったり…」と振り返ります。
「小さいときから旗屋になるもんだと思ってきた」。二人とも高校卒業と同時に旗作りの世界へと進みました。
「八年たっても何もできねえなって思う」と亮一さん。
五年目の弘樹さんは、色付け後白抜きとなる個所を筒引きで塗りつぶす「つぶし」や、数カ月前からは色付けの段階で色の濃淡をつける「ぼかし」をやらせてもらえるようになりました。
「作業のスピードが上がったり、自分がうまくなったと感じたときが楽しい。やりながら何でも覚えていきたい」と弘樹さんはいいます。
「見て覚えろ」という父親。その技術は「すごい」と息子たち。
「筒の使い方が違います。かすりの描き方とか『うそだっぺ』って思う」「ぼかしが入ると一気に絵が立体的になる。雰囲気が変わる」。鶴亀、宝船など縁起物の絵柄、波頭、字の形。「絵に勢いがある」と話します。
父の夢は
小澤染工場の旗の特徴は鮮やかな色使いと躍動感です。新造船の進水式に贈る大漁旗のほか、結婚、誕生、節句、開店などの祝い旗も制作しています。
大きいもので八畳分。幅九十センチ、長さ三・三メートルの布を最後に縫い合わせて一枚の旗に仕上げます。
豊漁を祝って船主や網主から漁師に贈られた祝い着のことを万祝といいます。江戸時代の終わりに生まれた染色技法を現在に生かします。
「見ての通りの職人技。五年十年ではものにならない。すべて自分でこなすには十五年かかる。おれもおやじの下で二十年、今年で三十八年目だけど、まだ完ぺきでもねえし」と父・克己さん。息子二人に託す思いは「腕を上げて、とりあえず並んでもらうことが最善。夢は追い越してもらうこと」と語ります。
伝統的工芸を受け継ぐ旗作り職人への道―。亮一さんはいいます。
「たいへんはたいへんですけど。でも、ずっとできなかったものが、ふとできる。そんなときはやってて面白い。技術が必要な職はみんな同じと思いますが、技が上達していく面白さがある」
お悩みHunter
“受験勉強は本当の勉強?” 友人と論争
Q ぼくは受験生です。この間、友人と論争していて疑問に思うことがありました。友人は受験勉強は本当の勉強ではないんだ、大学に入るためにやっているんだと言っていました。確かに競争的かもしれないけれど、身につくこともたくさんあります。友人のような考え方は納得がいきません。(高校三年生、千葉県)
どちらも正論。原点忘れずに
A 「お悩み」を伺って、思わずほおが緩みました。「このように本質論をたたかわせ合える関係って素敵だなぁ」と思います。
二人が論じ合っていることは、どちらも正論です。「受験勉強」は確かに「本当の勉強」ではありません。最近発覚した「世界史」や「情報」の履修漏れ、総合学習をまともにやっていなかった問題などを考えると、今日の高校がいかに「受験」に偏重した授業に陥っているか明らかです。
高校で、学ぶべき教科や学習範囲、程度は、大学受験科目であるか否かとか、よく出題されるかどうかなどが基準になるものではありません。高校生に自分とは何かをじっくり考え、アイデンティティーを確立させるとともに、自らの人生的課題について考察できる視点や思考様式をいかに獲得させるのか、あるいは他者とのつながりの中で、いかに自己認識を深化させるのか、これらの大切な発達課題を達成するためにこそ学び、勉強するのではないでしょうか。
ですから、哲学や倫理学を中心にすえ、社会や歴史認識を獲得するための諸科学、性の学習、地球・環境問題など、高校で開設されている全科目が大切なのです。人間関係のスキルの獲得や新しい自分づくりへの挑戦も重要な課題です。これらの原点を忘れずに、受験勉強に向き合えば矛盾は自然に解決することでしょう。
教育評論家 尾木 直樹さん
法政大学キャリアデザイン学部教授。中高二十二年間の教員経験を生かし、調査研究、全国での講演活動等に取り組む。著書多数。

